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シネマ具志川 難ありの最新映写機 <沖縄まぼろし映画館>154


シネマ具志川 難ありの最新映写機 <沖縄まぼろし映画館>154 93年に撮影された「シネマ具志川」。『水の旅人 侍KIDS』の手描き看板が掲げられている(砂川正宏さん提供)
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 「シネマ具志川」は、現在のうるま市具志川の安慶名交差点角にあった映画館。「国映」と「オリオン」の共同出資で1986年9月20日にオープンした。設計者は親泊仲真さん。国際通りにあった「シネアルテ」も手掛けた建築家だ。当初はシェーキーズのみの平屋として計画されたが、ランニングコストの低減と有効活用を図るべく、2階建てにして映画館を作ることになったという。

 当時の新聞記事によると、旧具志川市に映画館がお目見えしたのは13年ぶり(おそらく最後は「安慶名琉映館」)。「シネマ―」の開館は、同市はもちろん近隣市町村の住民の間でも話題となった。

 スクリーンは横6メートル×縦2・5メートル。客席は映画を十分楽しめるようにゆったり150席を配置した。映写機はコンピューター制御で幕開けや照明と連動する最新型だったが、少し問題があった。88年4月14日付の琉球新報に掲載の「県内映画館巡り」によると、フィルムの端にちょっとでも傷が付いていると自動的に止まってしまう。その都度ブザーが鳴るので、入り口にいた映写技師があわてて映写室に飛んで行ったそうだ。

 イラストレーターのイリー・Kさんは、開館から2年後の88年にここで2本立てを見たそうだ。

 「1階の券売機でチケットを購入して2階へ上がる作りでした。館内は学校の視聴覚教室のような印象で、こんな小さい映画館があるのかと衝撃を受けました」

 冒頭の親泊さんによると、客入りは「今の桜坂劇場の平日ぐらい」だったが、開館から11年後の97年11月に閉館。最終日にケビン・コスナーの『ボディガード』が上映され、イリーさんも足を運んだ。

 「券売機は消えて係員からチケットを購入するシステムに変わっていました。満席でしたが、立ち見客はあまりいなかったと思います。同年1月に桜坂オリオン、6月にゴヤオリオンの最終日も行きましたが、そことは違って、名残惜しくロビーをウロウロする客はいなくて、少々寂しい最後だったなという印象です」

 「シネマ具志川」が入居していた建物2階は居酒屋となった。1階のシェーキーズも閉店後にコンビニを経て、現在はドミノピザが入居している。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)