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石川沖映館と辺野古劇場 館主の父支えた強い母 <沖縄まぼろし映画館>152


石川沖映館と辺野古劇場 館主の父支えた強い母 <沖縄まぼろし映画館>152 右端の女性がシズ。子どもはみどりさん。眼鏡の男性が長昌。1952年ごろ「石川沖映館」前にて(提供:山城勝徳)
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 本連載の第148回にご登場いただいた沖縄芝居役者・仲嶺眞永さん。その奥さまみどりさんは、1951年生まれの70歳。彼女もまた、劇場と深い関わりがある。父の池原長昌は戦前より南洋で活躍した実業家で、49年に現在のうるま市石川の世栄津森付近に「新興劇場」を開館(51年頃、「石川沖映館」に新装開館)。自宅は劇場の裏手にあったが、みどりさんは物心ついた頃から劇場で一日の大半を過ごしていたそうだ。

 「2、3歳ぐらいです。いつも劇場で働く母のそばにいました。上映はお昼なので、宣伝のために午前11時ぐらいから『愛染かつら』とか映画の曲を流します。これが子守歌(笑)。あとは当時のスターで高田浩吉とか長谷川一夫とか…そこだけ妙に覚えているんですよ」

 みどりさんの母・シズ(戸籍上はチル)は伊江島出身。沖縄戦の最中、伝説の演劇人・小那覇舞天と共に、戦火を避けてガマに隠れる人々に芸を披露して勇気づけ、戦後には49年に発足したばかりの乙姫劇団に加入。結婚後は長昌が経営していた「石川沖映館」や料亭「遊楽」を手伝うなど、活発的な女性だった。

 後に長昌は「石川沖映館」を人に譲り、当時、基地経済で潤う辺野古で新たな映画館「辺野古劇場」を作る。一家もその地に引っ越した。だが、ここで危機が訪れる。とある事情により、長昌が劇場の権利書を手放してしまったのだ。そこで動いたのが妻のシズである。当時みどりさんは幼稚園生だったが、そのときの様子を今でも鮮明に覚えている。

 「母は私を連れて権利書を手にした相手の家を訪ねて、『納得ができない』と粘り強く交渉して、ついには権利書を返してもらいました」

 みどりさんは、母の気丈さに心底感服してしまった。しかしながら後日、権利書は再び相手に取られてしまうのだが、父の長昌は次に久志で旅館を経営することで再起を図ったという。母は後に「池原シズ琉舞道場」を開設。大勢の門下生を育てつつ、国内外で公演を行うなど、亡くなるまで精力的に芸の道にまい進した。みどりさんも母と同様に琉舞の道に進み、後進の育成に力を入れている。

 

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)