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国映館の『ジョーズ』看板 配給会社仰天の独自作 <沖縄まぼろし映画館>151


国映館の『ジョーズ』看板 配給会社仰天の独自作 <沖縄まぼろし映画館>151 『ジョーズ』公開中の国映館。197512月~翌年1月ごろ(砂川正宏さん提供)
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 前回に引き続き、映画看板職人として活躍した砂川正宏さん(1951年生まれ)のお話。60年代後半から90年代にかけて、「国映」系の看板を多数手掛けてきたが、特に思い出深いのは「国映館」(現・ホテルコレクティブ敷地の一部)で封切りされた『ジョーズ』(75年)だという。

 「こういった大作(たいさく)だと配給会社が看板の制作費を出してくれますが、その代わりに『ポスターとプレスシート通りに作ってくれ』と指示されます。でも、それだと面白くないしつまらない。そこで、オリジナルのデザインを描くことにしました。了解は得ていません。独断です(笑)」

 そして完成したのが写真の看板である。まず目を引くのは、どう猛なサメが鋭い歯と大きな口で襲いかかってくる、まさにその瞬間を描いた切り抜き看板。その右上に、「サメの種類で最も凶暴、一番大きいもので12メートル、重さ8トン」と、ホオジロザメについての解説文が添えられており、なんとも芸が細かい。

 砂川さんはこれら全ての看板をたった一人で、しかも「2週間で描いた」と言うのだから恐れ入る。

 「東京では一枚の映画看板を主役、脇役、背景、文字とそれぞれの描き手が分担します。ですが沖縄では一人で最後まで描きます」

 こういった巨大看板は、どのようにして描くのだろうか?

 「投影機で元絵となる映画ポスターを看板に拡大投射して描く方法がありますが、僕は苦手。映像がゆがむし役者の顔が似ない(笑)」

 砂川さんの手法はこうだ。元絵にマス目を引く、次に看板に拡大したマス目を入れて、1マスごとに下描きをする。最後に色を塗って完成である。切り抜き看板も下描きまでは同様だが、その後はカッターで看板を切り抜いて、搬入と設置がしやすいように3~4分割する。色塗りは、分割した板の仮組みをして後からだ。このような工程を経て砂川さん特製の『ジョーズ』看板が仕上がったわけだが、封切り日に合わせて来沖した配給会社の社員は、予想外のデザインを見てびっくり仰天。けれど、その出来栄えと満員大入りに「かえって喜んでくれた」そうだ。

 「あの頃は、看板の面白さや迫力で映画を見ようか決める時代。自分のアイデアと工夫で、あれだけの人が集まってくれたと思うと、誇らしい気持ちになりました」

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)