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国映館隣の映画看板 各地に存在、今はほぼ消滅 <沖縄まぼろし映画館>149


国映館隣の映画看板 各地に存在、今はほぼ消滅 <沖縄まぼろし映画館>149 1978年1月頃に撮られた「国映館」隣の映画看板。今では見なくなった手描きであることが分かる(土井九郎撮影)
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 SNSで懐かしい写真をアップする方は多い。これまで見たことのないものも多く、つい見入ってしまう。今回ご紹介する写真はその一枚だ。

 土井九郎さん(ツイッターアカウントは@doikuro963)は徳島県生まれ、青森県在住の写真家。1971年から船に乗り、エンジニアの仕事をしながら写真を撮り始める。それから18年にわたって、船で立ち寄った国内外の町並みや人々をフィルムに焼き付けてきた。現在はそれらの貴重な写真をツイッター上に投稿しており、その中に78年の前半頃の沖縄を写した画像を見ることができる。

 特に興味を引いたのは、「国映館」(2002年閉館、現ホテルコレクティブ敷地)に向かって左手にあった映画看板。近日封切りとして東映の78年の正月映画『トラック野郎 男一匹桃次郎』が描かれている。右端には見切れているが「桜坂琉映」とある。国映系の旗艦「国映館」のほぼ隣にライバルの琉映系が看板を立てていたというわけだ。

 面白いのは、看板の下が露店となっていること。サングラスやライター、財布が並び、売り子の女性がセールスを展開中である。ちなみに、筆者がこの看板を見たのは小学生の頃。作品名は覚えていないが、大きく描かれたジャッキー・チェンを見て興奮したのを覚えている。

 町中の映画看板は他にもあった。筆者が覚えているだけでも、首里坂下の都ホテル(現ノボテル)道向かいにあった国映系看板、南風原町新川交差点の琉映系、そして宜野湾市の旧伊佐三差路にあったオリオン系がある。

 沖縄の映画興行について調べているイリー・Kさん(イラストレーター)によれば、町中の映画看板はもっと存在したという。那覇かいわいだけでも、東町の旧KDDIビル付近の国映系看板や、現在の壺屋ビガロ・パーキングにあった琉映系、泊2丁目の崇元寺通り沿い付近には琉映系看板が立っていた。(90年代前半には看板そばに沖縄映画『パイナップル・ツアーズ』の上映事務所があった)他に那覇市と浦添市をつなぐ安謝高架橋近辺にはオリオン系看板が存在したそうだ。

 これらの看板は80年代から2000年代にかけて徐々に消えていった。「国映館」隣の映画看板も同じ運命をたどった。イリーさんの記憶では、ここで『Wの悲劇』(84年)の看板を見かけたのが最後で、87年に同じ場所を通った際には無くなっていたそうだ。

 町中の映画看板は、今回挙げた場所以外にもあったはずだ。ご存じの方や写真を持っている方はご一報いただきたい。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)