前回は“げんちゃん”こと民謡歌手の前川守賢さん(1960年生まれ)に、彼が生まれた名護の「羽地劇場」についてお伺いした。今回はその続きで、お父さんの前川守康が出演していた「ワタブーショウ」(58~59年)と映画館の意外なつながりについて。
「ワタブーショウ」とは照屋林助と守康、福原朝幸らが旗揚げした伝説のボードビル。沖縄と西洋の楽器を組み合わせ、琉球歌劇をパロディー化したコントを披露した。また舞台に加えてKSARラジオ(後の琉球放送)で15分の冠番組も任されて一世を風靡(ふうび)する。守賢さんの話によると、活動期間がわずか2年ほどだったというので驚いた。
「僕が物心ついたときには終わっていましたが、家にレコードがあって丸暗記しました。ホントに好きでたまらない」
そう言うと、守賢さんはその一節を歌い出した。「〓まかり出た出た、でたらめアビヤーワタブー、島尻、中頭、国頭や~、ゆーに及ばん、まーいっぺー。島々里々とぅん巡てぃ、歌とぅ笑いゆ配給さびらな受き取てぃくぃみそり、笑う門には福が来る来る、笑とてぃ長命(ながぬち)しみそーれ! ワタブーショウー!」
その巧みさに思わず拍手をすると、守賢さんはニンマリと話を続ける。
「林助さんから聞いたのですが、父たちは琉映貿と契約していたそうですよ」
琉映貿とは映画配給会社の一つ。「ワタブーショウ」は、沖縄各地にある琉映貿系列の劇場を巡業したそうだ。58年8月31日付の琉球新報には「琉映本館」(那覇市安里)で「ワタブーショウ」開催の広告がある。萬屋錦之介の『殿さま弥次喜多怪談道中』と片岡千恵蔵の『新選組』との3本立てで、10万円が当たる抽選会付きという大盤振る舞いである。
林助自身も著書「てるりん自伝」(北中正和編)で、「全島あっちこっち映画館だらけです。たくさんでき過ぎて、客の奪い合いになってきた時期ですが、ぼくらを味方につければ、客は満員になりますから、天下を取った気分でした」と、当時の盛況ぶりを語っている。
映画上映とセットになった公演について、守賢さんがこんなエピソードを披露してくれた。
「石原裕次郎の映画と一緒のときは、〈裕次郎と共演〉と銘打ったそうですよ。もちろん、これはしゃれでね(笑)」
「ワタブーショウ」の面白さを聞いて育った守賢さん。やがてNHKの「笑う沖縄 百年の物語」(2012年)でその舞台を再現。彼は父に扮(ふん)したそうだ。
※注:〓は連桁付き八分音符
(平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
(當間早志監修)
(第2金曜日掲載)