かつての羽地村田井等(現在の名護市)にあった「羽地劇場」。1947年頃に開館した露天劇場だ(後に有蓋(ゆうがい)化)。そこで生まれたという人物が、名曲「かなさんどー」などでおなじみの民謡歌手、前川守賢さん。話を伺うにあたって、芝居小屋の雰囲気を今に残す「首里劇場」(59年開館)に来ていただいたところ、両親と巡業をしていた幼い記憶がよみがえったようで、あの頃のことを鮮やかに語っていただいた。
「60年1月28日生まれです。旧暦の元日だったので、あだ名が“元(げん)ちゃん”」
父は役者で漫談家の前川守康。彼が所属していた「新生座」の巡業中、同劇団で裏方を務めていた母との間に生まれた。当時を知る大人たちから、そのときの様子を聞いたという。
「あの頃は病院に行くとかではなくて、産婆さんを呼んだそうです。生まれたのは正月公演の芝居がはねた(終えた)日の夜中。他の劇団所属だけど高安六郎さんもその公演に出演していたらしくて、〈誰かが、生まれるぞー!と叫んだから、僕(高安)が、電気つけなさい!と言った〉そうですよ」
幼い守賢さんは両親と共に沖縄中の劇場を巡業した。
「3、4歳の頃、子役で舞台に出たこともあります。でも、ただ立っているだけ。セリフも『すー(お父さん)!やーかい(家に帰ろう)!』ぐらい(笑)」
一つの劇場で2カ月ほど滞在して公演を行い、次の巡業先へはトラックで移動した。
「ベニヤを荷物台の両横に塀のように立てると荷物を高く積み重ねられる。役者さんたちの知恵ですよね。目的地に着いたら、今度は宣伝。町まーいと言います。三線を弾きながら〈ご当地の皆さま。◯◯一行、◯◯劇場からのご案内やいびん〉…憧れたなあ」
守賢さんが幼稚園に入る頃、両親が家を構えたことで巡業の日々は幕を下ろした。最後に寝泊まりした巡業先は「糸満劇場」。2階の特徴的な丸い窓を覚えているそうだ。
後に守賢さんは、照屋林助さんと「羽地劇場」の跡地を訪れたという。
「給油所になっていましたが、映写室の部分だけが残っていました。すると林助さんが、『自分が生まれてきた場所だから触ってきなさい』というので触ったら、今度は〈何か感じたか?〉だって(笑)。林助さんらしいよね」
(平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
(當間早志監修)
(第2金曜日掲載)