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首里公民館 首里劇場の前身? <沖縄まぼろし映画館>141


首里公民館 首里劇場の前身? <沖縄まぼろし映画館>141 現在の首里劇場。1950年開館から、その姿をほぼ変えずに今に至る
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 沖縄現役最古の映画館「首里劇場」が1月31日をもって成人映画の興行を終えた。金城政則館長にお聞きすると、今後は名作の上映と貸館を行っていく予定とのこと。現在は休館に入っており、再開に向けて建物の修繕を行うそうだ。

 さて今回は、この「首里劇場」の前史について新たな情報を発見したのでご紹介したい。

 「首里劇場」は1950年の開館より以前、露天劇場として営まれていたことが分かっている(現在の敷地より数十メートルほど西側)。47年ごろに公演が行われていたという証言が得られているのだが、その名称や内容は不明だった。

 ここで、ある人物の存在が鍵となる。50年9月13日付の沖縄タイムスに「首里劇場」の広告が掲載されており、「劇場新築御挨拶」として真栄城喜福(以下、喜福)という名前が登場するのだ。だが、金城政則館長によると、初代オーナーは館長の叔父にあたる金城田光(以下、田光)だという。なお田光は建設会社「田光組」の経営者で、「首里劇場」を自ら建てている。

 さらに喜福の名を探ると、50年7月15日付のうるま新報に掲載された「首里公民館」という劇場の経営者として登場する。場所は首里市大中区。現在の「首里劇場」がある地域だ。

 この「首里公民館」について調べると、琉球大学学術リポジトリ内にある「沖縄の舞踊資料1」(金城光子)という論文に行き着いた。それによると47年12月4日に、同館にて首里芸能文化連盟の第1回公演が開催されたとある。「首里公民館」という名称から察するに行政が関係するのではと考えて、沖縄民政府(琉球政府の前身)の資料を調査すると、同年8月2日付の「劇場設置委員会」なる会議録を見つけた。そこでは各地に劇場を作るとの話が出ており、「出来タ所ハ首里」と、この時点で既に首里に劇場があったと思われる記述を見つけた。これが「首里公民館」なのだろうか。

 これらの情報を勘案すると、沖縄民政府によって47年までに「首里公民館」が設置されて喜福が経営者となり、50年にはその後継となる「首里劇場」が開館。やがて経営権が喜福から田光に引き継がれた…ということなのかもしれない。

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)