米軍は1945年4月16日、伊江島に上陸します。激戦の末、21日に日本軍は壊滅しました。多くの住民が戦闘に動員されました。「集団自決」(強制集団死)も起きています。
電信第32連隊第5中隊の白沢班で伊江島との交信を担っていた安里祥徳さん(90)=北中城村=の元には電信が来なくなっていました。班長は「伊江島が陥落したようだ」と安里さんに伝えました。通信の任務がなくなり、真和志村(現那覇市)繁多川の中隊本部に戻りました。
任務中、特攻機の飛来を幾度か見ました。
《那覇上空にかすかな爆音を立てて数機の飛行機が近づいてきた。「わあ、特攻機だ」と叫びながら住民や将兵が壕から飛び出してきて、那覇上空に向かって「万歳、万歳」と叫んだ。》
しかし、米軍の猛攻に遭い特攻機は次々と撃墜されました。「艦船に体当たりできる状況ではありませんでした」と安里さんは語ります。
中隊本部に戻って以降の任務は炊事場で炊いた食料の運搬(飯上げ)、飲料水の補給、ランプの掃除、交代制による4時間の歩哨などでした。壕の中ではシラミに悩まされました。
4月29日ごろ、飯上げの途中、同郷の安里憲治さんら4人が直撃弾を受けて亡くなりました。「かわいそうだった。いつか自分もやられると考えた」と安里さんは語ります。