【全文掲載】「石敢當と僕」南野片吟・作<第32回琉球新報児童文学賞「短編小説部門」受賞作>


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 2020年に実施した第32回琉球新報児童文学賞「短編児童小説部門」の正賞を受賞した南野片吟さんの「石敢當とキジムナー」を全文掲載します。
 少し冷めた小学生が「石敢當」への落書きを思いつき実行すると現れたものは……。沖縄の暮らしや風土を土壌にした児童文学の世界をお楽しみ下さい。

      ◇   ◇   ◇

 教科の中で一番好きなのは図工だけど、教科書の中で一番好きなのは社会の教科書だ。それは読んでて楽しいからじゃない。
 先生が板書をしている間、僕は教科書に落書きをする。最近の力作は村を守る縄文時代の人々を巨人が襲おうとする落書きだ。やっぱり、社会の教科書が一番落書きしがいがある。
 正直、学校の授業は退屈だ。だからこうやって退屈を紛らわせている。
 板書を終えた先生は、手持ちぶさたに生徒たちを眺めている。今落書きすると見つかるかもしれないので、僕も素直に黒板を写すことにした。一応、ノートだけは毎回取るようにしている。
「そろそろいいかな」
 先生が黒板を消そうとすると、どこからか「まってー」と声が上がった。「あと三十秒な」と先生が言う。
 誰かが止めてなかったら、全然間に合ってなかったな。
 あせった僕は、急いで手を動かした。その拍子に字が乱れてしまい、「石器時代」の『石』のはらいが横棒を突き出してしまった。これでは「右器時代」になってしまう。
 右器時代。少しまぬけな響きだ。縄文時代の人々が、右手だけで器を持っている様子が頭に浮かんだ。縄文人のイラストに器を書き加えて、教科書の文字も全部「右器時代」に書きかえたら面白そうだな……。
 下らないことを考えていたら、先生の手には黒板消しが握られていた。まずいまずいと、僕は消しゴムを手に取った。
 
 今日の授業が全て終わった。
 来週、教室に業者が来るとかで荷物をちょっとずつ持ち帰らないといけないらしい。面倒だなと思いながらも、僕は絵の具セットを持って帰ることにした。
 だらだらと校門を出て、友達とあんまり意味のない話をしながら帰る。
 こうやってみんなで帰っていて、一つ不満に思うことがある。それは、僕の家だけみんなの家と反対の方向にあることだ。だから校門を出て住宅街を何ブロックか進むと、僕だけ先に別れてしまう。
「じゃあね」
 いつもの曲がり角で別れのあいさつをする。僕だって、もう少しみんなと話していたいのに。僕がいない間にみんなが仲良くなっていると思うと、自分一人だけ置いて行かれているような気持ちになる。
 曲がり角に立ち止まったまま笑ってみんなを見送った後、僕は少し暗い気分になって、ガクっとうなだれた。
 うつむいた僕の視線の先には、いつも道を曲がる目印にしている石敢當(いしがんとう)があった。
 ――石敢當は沖縄に伝えられる魔よけだ。プレートや形のいい石に「石敢當」と彫られているから、見ればすぐにわかる。だいたい道の曲がり角や民家のブロック塀に貼り付けられたり、そのまま置かれたりしているけど、シーサーと同じで飾りみたいなもんだ。
 僕がこの石敢當を見る時は、いつも寂しくなった時だなあ。そのまましばらく石に白字で刻まれた「石敢當」の文字を見つめていると、今日の社会の授業を思い出した。
 石器時代が右器時代になるなら、石敢當は右敢當だ。意味は……よくわからないけど。
 そうだ。
 周りに誰もいないことを確認してから、僕は絵の具セットから中身を取り出した。パレットに白い絵の具を出すと、水筒に残っていた氷水をほんの少しだけ垂らして絵の具を溶いた。小筆の先っちょに硬さの残る絵の具を付けて、「石敢當」の『石』の字に短い棒を書き加えた。 
 彫られた字と絵の具で書かれた字は質感が全然違うけど、離れて見れば案外区別がつかないものだ。僕は二、三歩下がって、満足げに『右敢當』の字を眺めた。
 ――これは授業中の退屈を紛らわせるのと同じだ。帰り道の寂しさを紛らわせるための、ちょっとした遊びだ。それは自分の教科書を汚すのと少し違うとはわかっていたけど、どうせ雨がふったら全部元通りになる。
 絵の具セットを片づけ始めた時だった。
「何してるば?」
 突然、背後から声をかけられた。
 振り向くと、僕と同じ年ぐらいの男子が立っている。見たことあるような……ないような顔だ。少なくとも、同じクラスになったことはない。
 いや、それよりも大事なのは落書きの現場を見つかったことだ。これを学校に連絡されたら、きっとただでは済まない。僕は背中に冷や汗がしみ出るのを感じた。
「ら……落書き」
 僕は正直に答えた。
「いいな。おもしろそうやっし」
 男子は日に焼けた顔をくしゃくしゃにして、笑って言った。
「……誰?」
「あ、オレ? 同級生同級生! お前5年3組のヤツだろ? オレ5組」
 同級生だったのか――って違う違う。問題はそこじゃない。
 僕の青ざめた顔を見て察したのか、その同級生は言った。
「大丈夫。誰にも言わんから」
「ほ、ほんとに?」
「ほんとほんと。だからよ――」
 彼が言い出した交換条件はこうだった。
「オレにもやらして」
「えっ」
 5組にいる彼は、名前をモトキと言った。
「野球してたんだけどさ――うり」
 彼は右ひじを突き出して見せた。サポーターを着けている。
「けがしてから、練習できんくて暇だったばーよ」
「はあ……なるほど」
「その遊び、いいな! オレがけがしたのも右ひじど」
「ほんとだ」
 ははあ、なるほど。怪我した右ひじと、僕の落書きの右敢當をかけてるわけだ。こんな遊びに交ざったところで、彼にとって気晴らしになるかは僕には疑問だったが、僕は僕で放課後退屈していたのだ。遊び相手が出来たのは悪い事じゃない。
「じゃあさ、他の石敢當にも書いちゃおうか」
 こうして僕らの不毛な遊びが始まった。
 
 僕らは通りを駆け回って、目につく石敢當全てに落書きをした。
 二人で落書きを重ねるうちに、僕たちは何だか楽しくなってきて、いっそのこと、学校の周りの石敢當をすべて右敢當にしてしまおうと意気込んだ。
 
 石敢當の中には少し変わっているものもあった。
「これ、ボロいな」
 モトキがそう言って指さしたのは、木の板に雑に書かれた「石敢當」の字だった。石に彫ってあるのと違い、そこら辺で拾ってきたような木の板に、お世辞にも上手とは言えない字で直接書いてある。
「これ、効果あるのかな」
「あるから置いてるわけさ」
「ところでさ」
 僕は気になっていたことをふと口に出した。
「石敢當って、何であるんだろうね」
「何でって、マジムンが来ないようにするために決まってるやっし」
 マジムンというのは、沖縄で妖怪や悪霊を意味する言葉だ。
「いや、それは知ってるんだけど、何の意味があるんだろうって」
「意味は知らんけど、マジムンは石敢當にぶつかったら砕けて死ぬっておじいが言ってたよ」
「砕けて死ぬんだ……。でも、ぶつかんなきゃいい話じゃん」
「これもおじいが言ってたんだけど、マジムンってまっすぐにしか進めんらしいぜ」
「へぇ……」
 だから曲がり角でよく見るのか。今僕らの目の前にある石敢當は、ちょうどT字路の突き当たりに張り付けてある。ここに石敢當があることで、マジムンは角を曲がれずに退治されるんだろう。
 僕たちは日が暮れるまで石敢當に落書きをし続けた。モトキについてもう一つ分かったのは、家が僕の家と割と近いということだった。僕たちはまた遊ぼうと約束をしてから別れた。
 
 次の日。
 僕は登校しながら、それぞれの曲がり角で石敢當の字が「右敢當」にこっそり置きかわっているのを見てにやついていた。石敢當なんてそこにあって当たり前のものだから、この違いに気づく人は少ないだろう。実際、誰も気にしていないようだった。
 ただ学校の様子はいつもと違っていた。
 教室に入ると、誰かが学校に来る途中で霊を見たという話でみんな盛り上がっていた。授業が終わって休み時間が来ると、今度は「3年生の子も霊を見たらしい」という情報が入ってきた。それから休み時間のたびに新しい情報が入って来て、2年生にも霊を見た子がいたとか、霊に触られたら心臓が止まって死ぬだとか、噂話はどんどん大きくなっていっているようだった。
 怖い噂が広まることは昔にもあったけど、今回のは少し異様だった。廊下を歩いてもみんなその話をしている。噂が流行ってもせいぜいクラスや学年だけで広まるのが普通だったのに、この噂は学校中で広まっているようだった。何より不気味なのは、「霊を見た」という子の証言が全部一致していたことだ。彼らがそろって言うには、霊は黒くて人の形をしているらしい。
 学校にいる間、僕の頭の中は嫌な想像でいっぱいだった。
 まさか僕たちが石敢當にいたずらをしたから、本当にマジムンが出たんじゃないだろうか――。
 不安になった僕は5組まで足を運んだ。
 昔クラスが一緒だった子に頼んでモトキを呼んでもらうと、僕は心配事を打ち明けた。
「ねえ、この噂って僕らのせいなんじゃないの」
「石敢當に落書きしたから、マジムンがほんとに出たって?」
 モトキは僕と違って余裕があるようだった。
「いや、僕も信じてはないけどさ……。でも、こんなに見たっていう生徒がいるんだよ」
「じゃあ放課後確かめに行くか」
「う、うん……」
 僕の心配をよそに、昼休みの後から霊の話をする生徒はいなくなった。どうやら、放課後にテレビの取材でアイドルが来るらしいのだ。どこかのクラスの先生がうっかり口を滑らせてしまってから、この話はイナズマのように学校中に広まった。
 今となっては誰も彼もがすっかり霊の話を忘れてしまったようだった。
 学校が終わっても、下校する生徒はほとんどいなかった。みんな芸能人を見てみたいのだ。
 そんな中、僕とモトキは学校を後にして、静かな通学路を歩いていた。本当に霊《マジムン》が出たのか確かめなきゃいけない。
 僕はつい不安を口に出した。
「本当にいたらどうしよう……」
「その時は、石敢當を全部きれいにしようぜ。そしたらいなくなるだろ」
「そうだね。そうするしかないもんね」
 僕らは昨日通った道をもう一度歩くことにした。いつもの曲がり角を曲がって、落書きした石敢當を見ながらしばらく歩いていたけど、霊なんて全然見つからない。これじゃただ散歩してるのと変わらないようなもんだ。
 僕はモトキに大げさに怖がり過ぎたことを謝ろうと思った。
「ねえ――」
 モトキの方を振り返ると、いつもニコニコしている彼が、こわばった顔で道の向こうを見つめている。
 それにつられて、僕も自然と同じ方向を見てしまった。
「マジムン……」
 僕らの視線の先には、大人の背丈ぐらいの真っ黒い人影があった。でもそれが人間じゃないのは一目で見てわかった。黒い服を着ているとかじゃなくって、真っ黒が人間の形をしているのだ。輪郭はたくさんの虫が這っているみたいにうごめいていて、今まさにこちらを向こうとしていた。
「行こう」
 モトキが僕の肩を強く掴んだ。それが合図だった。僕らはマジムンに背を向けると、一目散に走りだした。体力テストの50m走よりも、遅刻しそうな朝よりも、運動会のリレーよりも、とにかく速く、速く走った。
 僕らは時折後ろを振り返りながら、角を何度も曲がった。
「来てない?」
「来てない」
 息を荒くしながら、僕たちはマジムンに追いかけられてはいないことを確認した。
「は、早く、落書きを全部消さなきゃ! 本当にいたんだ……!」
「たしかここら辺に一個あったはず……」 
「あ、これだ」
 僕らは何個目かの『右敢當』を見つけた。こうなっては「何が右敢當だ」って感じだ。僕は持っていたハンカチを水筒の氷水で濡らすと、石に塗られた絵の具を震える手で拭った。
「おい」
 モトキが僕の肩を叩いた。僕らが来た方とは逆の方向を見ている。
「見られてる」
 僕も同じ方向に目を向けると、ぐにゃんぐにゃんと黒い人影が歩いていた。顔がないのに、なぜかこっちを見ているのだとはっきりわかった。
 そして――マジムンは怒っていた。肩が上下に揺れている。きっと僕らが石敢當を元に戻したから、腹が立っているのだろう。
 一瞬のことだった。
 黒い輪郭がざわっと波打つと、人の形がべしゃっと潰れた。黒い染みが水たまりみたいにアスファルトに広がった後、逆再生するみたいにその輪郭が獣の形に組み上がった。身体はずんぐりむっくりしていて、豚とも牛ともつかない醜い姿をしている。そして左の後ろ足だけで地面を二度蹴った後、僕らに向けて――突っ込んできた!
「来た!」
 僕もモトキも一度来た道を戻るようにして再び走り始めた。
 モトキが大きな声で言う。
「曲がれ!」
 昨日モトキから教えてもらった話を思い出す。マジムンは真っすぐにしか進めないんだ!
 十字路の角を曲がり、後ろを振り返る。
 突進するように僕らを追ってきたマジムンが、角の手前にさしかかるとキキーッと四本足でブレーキをかけ、ゆっくりとこちらを向いてから再び走り出した。
 そんな!
「まっすぐにしか進めないだけで、その場で方向転換は出来るんだ!」
「は!? おじいから聞いてんけど!」
 僕たちはそれから全力で逃げ続けた。足はマジムンのほうが速いみたいだ。それでも角を曲がるたびにマジムンはブレーキをかけるから、差は思ったより縮まらない。でも、僕もモトキも息が上がっている。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
 こうなったらイチかバチか、マジムンに立ち向かうしかない。
 僕はモトキに言った。
「僕に考えがある。だから、マジムンを引き付けてほしいんだ」
「オッケー。オレ、野球部の盗塁王ど? 余裕に決まってるやっし」
 モトキの力強い口調は僕に安心感を与えてくれる。
「時間を稼いだら、ここに戻って来てほしい」
「まかちょーけー!」
 角を曲がった後、僕は路地の電柱に身を潜めた。少しすると横をマジムンが駆け抜けていく。……よかった、僕には気づいていないみたいだ。
 僕は背負っていたランドセルを下ろすと、ノートを一冊取り出した。
 筆箱から油性マジックを取り出すと、見開いたノートいっぱいに「石敢當」の字を書いた。
 以前モトキと見た木の板の石敢當を思い出す。雑な字で手書きされた石敢當だったけど、あれに効果があるのなら、僕がノートに書いた石敢當だって効くはずだ。
 足音が聞こえてくる。モトキが辺りを一周して戻ってきたんだ。
 僕はお手製の石敢當を持ったまま道のど真ん中に立つ。本当は不安でしかない。これで駄目だったら、僕はどうなっちゃうんだ? 午前中に学校で聞いた噂を思い出した。
 ――霊に触られると、心臓が止まって死んじゃうんだって。
 目の前がチカチカとして、足の震えが止まらない。何だか目に涙があふれてきた。
 それでも、やるしかない!
 モトキが僕のところへ走ってくる。僕が持っているノートを見て、何をするのかわかったみたいだ。
 走ってきたモトキが、僕の後ろへとスライディングして回り込む。
「来い!」
 マジムンが、僕ら目がけて飛びかかってきた。すかさずノートを構える。マジムンがノートを突き破ろうとしているのか、腕に衝撃が伝わる。思わず後ろに倒れそうになるが、モトキが僕の背中を支えてくれていた。
 バシャアッ!
 水風船がはじけたみたいな音がして、辺りに黒い染みが飛び散った。そこにマジムンの姿はない。広げていたノートを見ると、ページは一面真っ黒になっていた。なんだか気味が悪くて、ほんの少し吐き気がした。
「死ぬかと思った」
 そうつぶやいた僕は疲れ果てて、その場で地面にへたり込んだ。モトキも同じようにして座っていた。
 突然、手の甲に冷たい感触がした。見るとそれは小さな雨粒だった。
 気付けば、黒い雲が空を覆っている。ぽつ、ぽつと降り出した雨は、急にうなるような大雨になった。通り雨だ。
 それでも僕らは立ち上がる気にならず、しばらく雨に降られていた。
「あのさ」僕はモトキに声をかけた。
「明日、一緒に帰らない?」
「明日土曜日ど」
 そうだった。今日は金曜日だった。
「じゃあ、遊びにでも行くか」
 モトキの提案に、思わず弾んだ声で返事をした。
「いいね!」
 いつの間にか、雨は止んでいた。
 暖かい日差しが道を照らしている。僕らは濡れた髪と服のまま、家のある方向へと歩き始めた。

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