「父からの合格祝いだった」 壕で見つかった万年筆、75年の時を経て持ち主へ


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 大城 誠二
南埜安男さん(左)が第24師団司令部壕内で見つけた万年筆を75年ぶりに手にして喜ぶ平良栄子さん=7月22日、糸満市与座

 沖縄戦戦没者の遺骨収集活動に取り組む「沖縄蟻の会」が、糸満市与座の24師団司令部壕で発見した「賀数栄子」と彫られた万年筆などの持ち主が、このほど見つかった。持ち主は当時、県立第二高等女学校に通っていた平良栄子さん(89)=旧姓・賀数。壕のある与座出身で、今も同地域に暮らす。万年筆は父・賀数仁王さんが入学祝いにくれた。「その時分のことがよみがえってくる」。万年筆が、亡き父や家族との思い出を呼び覚ました。

 

万年筆をなくしたあの壕であったこと 泣き叫ぶ兵士、腕をのこぎりで…

 

 1930年10月、当時の高嶺村(現・糸満市)与座で医師をしていた父・仁王さん、助産師の母・繁子さんの2男6女の末娘として生まれた。歴史が好きだったという栄子さんは勉強に励み、43年に二高女に合格した。その時、合格祝いとして万年筆と筆箱が仁王さんから贈られた。ただ、栄子さんは「使った記憶はほとんどない」と語る。それだけ大事にしていた。

 44年11月、栄子さんは武部隊(第32軍配下の第9師団)の奉仕活動に加わっていた。「父が危篤状態だ」。作業現場に、いとこの叫び声が響いた。気が動転した栄子さんは急ぎながらも足がもつれ、やっとの思いで自宅にたどり着いた。「おとー。おとー」。何度も呼び続けたが、仁王さんが返事をすることはなかった。10歳で繁子さんを亡くし、仁王さんを病気で失った栄子さん。写真は残っているが、思い出の品はほとんど残っておらず、父がくれた万年筆は形見のような存在だ。

 万年筆などは7月上旬、沖縄蟻の会の南埜安男さん(55)=那覇市=が第24師団司令部壕内で発見。本紙で持ち主を募ったところ、栄子さんの家族らが記事を見て名乗り出た。7月22日、万年筆と筆箱、ヘラが栄子さんの手元に戻った。「不思議な気分だ。でも、こんなにうれしいことはない」。万年筆を両手でぎゅっと握りしめた。(仲村良太)