昨年9月の沖縄映画研究会でアニメと沖縄について発表した際、田名賢会員から『アタック№1』(1969―71)について情報提供を受けた。鮎原こずえ率いる富士見高校が、沖縄の摩文仁高校と対戦する場面があったというのだ。改めてテレビシリーズ全104話を視聴したところ、第72話が「沖縄からきたアタッカー」と題されていた。しかもその内容は他の放送回とは異なる特徴を示している。
冒頭では摩文仁の主将・伊佐原がインタビューを受け、沖縄戦の爪痕が残る本島南部の様子などが語られる。富士見の部員はそれをテレビで見ているのだが、画面に映る守礼門や米軍基地、摩文仁、キビ刈りといった風景は、アニメではなく実写のカラー映像なのだ。このシリーズを沖縄で放送していたOTVの協力が番組の最後にクレジットされており、同局が提供した映像と思われる。
また富士見の部員が読んでいる雑誌には、米軍基地で働いていた伊佐原の姉が売上金の着服を疑われて全裸にされ、屈辱と怒りから自殺を図ったという記事が出ている。摩文仁という校名が沖縄戦の犠牲を問い掛けるとすれば、この姉のエピソードは米兵による暴行事件を暗示していよう。
そして翌日の試合の序盤では、伊佐原が空手の三角飛び蹴りを応用した「三角アタック」で富士見を圧倒する。相手の技を破るために猛特訓を重ね、対抗技を編み出すというのがこのシリーズのパターンだが、今回の富士見は何の策も講じない。一瞬に集中する空手技の応用だから持久力に欠けると見抜いたのだ。
やがて伊佐原は疲れて自滅し、他に武器のない摩文仁は富士見に大敗する。さらに鮎原は、摩文仁が沖縄で米軍ハイクールに楽勝した件にも疑問を抱く。ハイスクールのキャシーとは世界大会で戦っており、その実力をよく知っているからだ。そして伊佐原の姉の一件でキャシーがわざと勝ちを譲ったと確信する。まるで米軍による懐柔策みたいな話だが、ともかく伊佐原はその試合で自信をつけるとともに遺恨を水に流し、全沖縄の期待を背負って選抜大会に臨んでいたのだ。
辻真先の脚本によるこの第72話は、沖縄の本土復帰が約1年後に迫った1971年4月18日に放送されている。前年末のコザ騒動も含めた琉米日の三角関係を盛り込むには、30分の若年向けスポ根アニメという枠はいかにも窮屈だが、当時の沖縄ではどう受け止められたのだろうか。「摩文仁」の「摩」が「魔」になっていた点も含め、何かご記憶の方がいらしたらぜひ教えていただきたい。
(岡山大学大学院非常勤講師)