金武村(現宜野座村)の古知屋収容地区にいた登川吉雄さん(89)=豊見城市=ら家族は食糧不足に加え、マラリアにも苦しみます。米軍に捕らわれ、各地を転々とする中で、共に行動していた2人のめいを栄養失調とマラリアで亡くします。
《どの人もみんな栄養失調にマラリアの黄色い顔。我が一家も全員マラリアに悩まされた。残念ながら姪(めい)2人、幼い命を失ってしまった。》
その後、家族は古知屋を離れ、豊見城村(現豊見城市)伊良波に移動します。集落の外れに中北部の収容地区から戻った村民が暮らしました。「伊良波に移動したのは1946年1月か2月ごろでした」と登川さんは語ります。
帰郷に先立ち45年12月、豊見城に入った先発隊が、伊良波や座安、渡橋名で、収容地区に戻る村民の受け入れ準備を進めます。伊良波を出た一家は宜保集落で暮らします。46年末には父の明孝さんが中国から復員しました。
教職を40年務めた登川さんは97年から2001年までの5年間、「豊見城村史」戦争編専門部員として住民の沖縄戦体験の調査に携わりました。南部の激戦地をさまよい、収容地区を転々とした自らの体験を踏まえ、戦争体験の継承に努めました。
◇ ◇
登川吉雄さんの体験記は今回で終わります。次回から金城潔さんの体験記です。