人間国宝・故金城次郎さんの登り窯を改築 陶工ら「寂しい」内部は幻想空間


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作品を手にする金城次郎さん=1985年5月

 沖縄県内初の人間国宝で、陶芸家の故金城次郎さん(1912-2004年)が、1972年に読谷村座喜味に構えた登り窯「金城次郎窯」で、大規模な改築工事が行われている。沖縄の伝統工芸を支えてきたが、六つある窯内の焼成室のうち四つが経年劣化で危険な状態となり、共同使用する8工房の陶工らが工事を進めている。6月中旬の完成を目指す。関係者らは「寂しい」「より良い作品を作りたい」など、さまざまな思いを抱いている。

【写真】「金城次郎窯」今の様子

 34年にわたり金城次郎窯で作品を生み出してきた島袋常秀さん(73)は「このまま使用するのは危険だと判断した」と経緯を説明する。「正直、寂しい」と語る陶器工房虫の音の陶工、当山友紀さん(43)によると、年季の入った窯の内部は灰や色とりどりの釉薬(ゆうやく)がこびりつき、大きな作品のような、幻想的な空間だったという。

 沖縄のやちむん(陶器)をめぐっては、琉球王朝の尚貞王が1682年ごろ、那覇市中心部にある壺屋に窯場を集めて陶業の発展を図った。戦後になって住宅が密集し、焼き物を焼くには無理が生じたため、金城次郎さんら多くの陶工が読谷村へ移転。嘉手納弾薬庫の返還跡地に広がる現在の「やちむんの里」の素地(そじ)となった。

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