21日から全国公開される映画「いのちの停車場」(成島出監督)。さまざまないのちとの向き合い方を描く本作に主演する吉永小百合と、吉永演じる医師・白石咲和子の父役・田中泯に、今後の人生の歩み方を聞いた。 (聞き手・藤村謙吾)
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Q:本作は「いのち」や「生き方」について考えさせられる作品になっている。今後、自身の人生をどのように歩んでいきたいと考えるか
吉永 私はその日その日を精いっぱい生き切れば、それが未来につながると考えている。どういう形になるか分からないが、自分はどうなっていくんだろうという楽しみはある。
田中 とても(吉永さんと考えが)似ていると思う。ようするにまだ経験していない。僕は毎日毎日新しい自分の生を授かって生きようとしている。だから、こうしてああなってという(予定された)死を迎えられるわけがないし、おそらくかなり寄り道したりするだろうし、それすら当たらないかもしれない。でも、楽しみ。最後の一番大切な楽しみというか、死ぬことを「お祭り」というふうに考えていたい。
吉永 (田中の「お祭り」という言葉にうなずき)ニライカナイですかね。(死んだら)きっとそういうところにいけるんじゃないかな。田中さんは、生まれて一度も大きな病気をされたことがないんです。私もけがはしょっちゅうしているが、大きな病気はしていないので、どういうふうにこれから自分が歳を重ねていくか、見当がつかない。
田中 全て生きている人は死んでいくが、みんなその人の「生」を生きているので「死のモデル」をつくってはいけない。「あの人らしく死んだね」って言われるのが一番幸せなのではないか。
Q:吉永は2020年の坂本龍一とのコンサートなど、折りに触れて沖縄に思いを寄せている。「いのち」の尊さをこれまでさまざまな形で表現されてきた吉永から、主演に当たり本作に込めた思いと、沖縄県民へのメッセージを頂戴したい。
吉永 いまこんな社会状況になり、医療関係の方々の苦労は想像を絶するものだと思う。とにかく早く新型コロナウイルス感染症が収束して、みんなが手を取り声を出して笑い合うような時がきて、医療従事者の方たちのご負担が早く緩和されるように願っている。
この映画は、命というものに正面から向き合って描いている。初めてのドクター役で、こんな難しい役をやることになり大変だったが、やれて良かったと思っている。
映画「あゝひめゆりの塔」(舛田利雄監督、1968年)に若いころ出演させていただいた。そのときは沖縄の苦しみを知らないで演じ、ただただ女の子、同世代の高校生や、20歳前後の女優さんたちと泣いてばかりいるようなシーンになってしまった。本当に(沖縄戦を)体験したひめゆり学徒や白梅学徒の方たちは「涙も出なかった」と語ってらして、私はそのときも今もずっと、申し訳ないという思いがしていた。
坂本さんとのコンサートは、私が「沖縄に行く」と言ったら、(坂本さんが)「どんなことをしても一緒に行きますよ」と言ってくださり、実現できた。また、こちら(沖縄)にきて、皆さんの力になれるようなことができたらいいと思っている。東京とか本州に住むものは、知らん顔をして、基地の問題とかさまざまなことに見て見ぬふりをするのはとても良くないことだと思う。しっかりと自分ができることはやりたい。