100年前の那覇市には、那覇と首里をつなぐ沖縄電気軌道(路面電車)が走っていた。軽便鉄道より先に開業した県内最初の軌道交通だ。路面電車のレールの一部は今も沖縄都市モノレールに残っている。
路面電車が開業したのは1914年5月1日。首里と大門前(現在の東町)を結ぶ全長5・7キロを片道32分で運行した。17年9月に大門前―通堂間、1・2キロが延長された。路線バスの運行開始で収益が悪化し33年3月に運行停止した。
廃業から77年がたった2010年、松川の民家にレールの一部が残されていることが分かった。字誌の編集過程で判明した。
当時、路面電車の痕跡はノボテル沖縄那覇の敷地内にある高架線の柱の土台だけと思われていた。交通問題に詳しいエッセイストのゆたかはじめさん(93)は「大発見だった」と振り返り、「那覇の路面電車は、当時、文化都市だった長崎より開業が早い。沖縄が鉄道後進地域でないことが分かる貴重な資料だ」と価値を解説した。
琉球王朝時代、城下町の首里と浮島だった那覇の間は交通に難があり、大きな課題だった。ゆたかさんは「王朝時代に(海中道路の)長虹堤ができたのは那覇と首里を結ぶためだった。路面電車も、今のモノレールも那覇と首里を結んでいる。歴史的な意味があると僕は思うんだよな」とつぶやく。
レールはその後、モノレール社に寄贈され、同社は那覇市安次嶺のゆいレール展示館に保管した。コロナ禍で展示館は現在休館中。人が出入りしなくなった展示館2階の一角で、レールは今もひっそりと展示されている。さびでぼろぼろと崩れてはいるものの、100年前の歴史の証言者として存在感を放っている。