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魔法の言葉は「あぎじゃびよ!」…会社員からマジシャンに デビッドちんすこうの挑戦【WEBプレミアム】


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
沖縄そばを使ったマジックを披露するデビッドちんすこうこと多和田圭作さん(多和田さん提供)

 派手なシャツに頭に巻いたタオルがトレードマーク。マジシャン「デビッドちんすこう」こと多和田圭作さん(33)のマジックは、ゴーヤーやオリオンビールなど沖縄の特産品がたくさん飛び出し、決めゼリフ「はい、あぎじゃびよ!」(※あぎじゃびよ=沖縄の言葉で感嘆詞)で締める。多和田さんが勝負するのは大阪のステージ。沖縄好きを筆頭にファンを増やしている。(田吹遥子)

■玄関で吐くほど…辛い会社員生活を救ったのは

 多和田さんは宜野湾市出身。沖縄国際大学を卒業し、大阪に本社があるIT関係の会社の沖縄支社に就職した。ITの知識は全くなかったが、持ち前の明るさを社長から直々に評価されたことが入社の決め手になった。だが、初任地の大阪では、IT独自の言語や専門的な知識に圧倒され、周囲に追いつくことができなかった。 ついにはストレスで出勤前の玄関で吐いてしまうほどに。身も心もぼろぼろになっていた。

 そんな多和田さんの唯一の楽しみはマジックバーに行くこと。学生時代などに覚えたマジックを沖縄の言葉を交えながら披露すると、客の反応がよかった。それが多和田さんの背中を押した。入社から10カ月で会社を辞め、多くのマジシャンが修業するマジックバーへ。面接ではマジシャンのオーナーに「技術はこれからだけど、あぎじゃびよーに可能性を感じた」と評価された。「これでやれる。あぎじゃびよーに救われた」。

 そこから「マジック漬け」の日々に。昼はたこ焼き屋、夜はマジックバーで修業と手伝い、深夜はハンバーガーショップ。2つのアルバイトを掛け持ち、睡眠時間が3時間の日々を4年半過ごした。

マジックバーでマジックを披露するデビッドちんすこうこと多和田圭作さん=2019年、大阪

■マジックは「表現」の一つ

 修業修行が実り、沖縄居酒屋などでのステージの仕事に声がかかるように。2015年には吉本興業が主催する「沖縄国際映画祭」に出演。17年からは大阪で単独ステージを開催できるまで知名度や人気が広がった。多和田さんは「沖縄を離れて初めて沖縄の環境が特別だと知った」と振り返る。

 「沖縄を好きな人がこんなにたくさんいるんだと知ることができた」。そこで「沖縄人であるからには何らかの形で沖縄を表現したいと思った」。それが大阪で沖縄風のマジックを続ける原動力にもなった。

 多和田さんは「マジックは自分の思いを表現する手段」とも語る。

 バラバラだった輪が全部つながるマジックは「絆」と表現。ロープが一つにたぐり寄せられるマジックは「出会い」と呼んだ。

 最初に客が選んだカードがほかのカードに混ざりどれだけ下に埋もれても、マジシャンが指を鳴らせば一番上に「上がってくる」という「アンビシャスカード」というマジックのスタンダードな技。 「それがどん底からマジシャンになった自分と重なった」と振り返る。

 さらに「マジックで表現できない思いを伝えたい」と思った多和田さんは自ら歌も手がけた。マジックの後に歌うのが定番になり、毎回終盤はライブ会場のように盛り上がった。最近では母校の普天間高校の野球部の応援歌を作り、生徒に届けた。

終盤はライブのように最高潮に盛り上がる「デビッドちんすこう」こと多和田圭作さんのライブ=2019年

■コロナで仕事「ほぼゼロに」

 波に乗り始めた多和田さんを直撃したのは、新型コロナウイルスの感染拡大だ。20年から舞台関連の仕事はほぼゼロに。自らを奮起させようと頑張ったが「感情が追いつかなかった」。現在、マジックなどを動画で配信。生活はアルバイトに頼る。それでも「マジックを続けたい。こんなとこで止まってたまるかという意地があるし、成し遂げたいことがたくさんある」と語る。

 家族がいる大阪の地で「沖縄のことをもっと知ってもらい、県外に沖縄ファンを増やしたい」という目標を胸に再び舞台に立てる日を目指して準備を進める。

「マジックを続ける」と語る多和田さん=4月、宜野湾市