戦争つながる基地反対 遺族の思い全国に伝える 県遺族連合会会長の宮城篤正さん


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
宮城篤正県遺族連合会長

 県遺族連合会の宮城篤正会長(79)は沖縄全戦没者追悼式で2016年から3年間、米軍普天間飛行場の早急な移設と新基地建設への反対を首相や閣僚の前で言明した。宮城会長は「沖縄に集中している基地の状況を何とかしないといけない。遺族の中で基地に反対しない人はいない。それが遺族の心情だ」と語った。激戦地となり、遺骨が残る本島南部の土砂を辺野古新基地建設に使う国の計画にも複雑な感情を抱いている。

 沖縄戦当時、宮城さんは3歳で、母親とやんばるに疎開していた。父親と叔父を沖縄戦で亡くした。防衛隊として召集された父親は45年6月18日、本島南部で亡くなったとされる。

 宮城さんは約50年にわたって毎年、遺族会での遺骨収集活動に携わってきた。遺族会は、遺族の高齢化や安全な場所での収骨を終えたことを理由に15年度に活動を断念した。未収骨の遺骨は足場の悪い山野などに残っている。宮城さんは「区切りをつけないといけないのかもしれないが、遺骨収集は終わらない」と話した。

 宮城さんは嘉手納町出身。町面積の約8割を広大な米空軍嘉手納基地が占める。戦後、米施政下で嘉手納基地はベトナム戦争の出撃基地となった。B52戦略爆撃機が1968年11月19日未明、嘉手納基地を離陸直後に墜落。墜落場所は宮城さんの家から約2キロほどの地点だった。外に出ると真っ赤な火柱が上がり、母親は逃げる準備をしていた。

 戦後76年たっても米軍基地が沖縄に集中する背景には、日本本土の沖縄への共感の低さがあると考えている。「少しでも本土が引き受けてくれるなら沖縄の基地縮小につながるのでは。本土の人には『沖縄に任せておけばいい』という気持ちがあるのだろう。(本土の人が)『基地は必要だ、でも自分の所に持ってこられるのは嫌だ』というのは身勝手だ」と指摘した。

 沖縄全戦没者追悼式で、新基地建設に「断固反対」と述べたことを「遺族の立場として今言っておかないといけない、という思いだった。肉親を戦争で亡くした遺族だからこそ、戦争につながる基地に反対するのは当然だ」と振り返った。

 遺骨の残る南部から採取した土砂を新基地建設に使う計画について「感情的にはその土砂を使ってほしくない。多くの遺族が国の計画には正直賛成できない、という気持ちだ」と強調した。 (中村万里子)