日本兵が女性を殺害 當銘幸吉さん 山の戦争(32)<読者と刻む沖縄戦>


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名護岳の周辺から見る市街地

 母や弟と共に山中をさまよった當銘幸吉さん(86)=糸満市=は飢えに苦しんだ日々を今も忘れることはありません。

 「喜如嘉では桑の葉など何でも食べました。食べないと死んでしまう。人の畑から作物を盗んだこともある。有銘ではバッタを捕まえ、焼いて食べた。よく生きていたと思います」

 「大宜味村史」によると村に割り当てられた疎開者の受け入れ数は1万人余りで、そのうち1400人は喜如嘉の受け入れです。山に造った避難小屋だけでは足りず、500人余が民家で雑居しました。食べ物を巡る争いも起きました。

 家族はその後、名護へ移動します。そこで日本軍による住民殺害を目撃します。

 《米軍が大浦湾より来るとのことで、2~3世帯別れて名護方面へ逃げた。

 その途中、名護の東の山の中で、もんぺ姿の若い女性が2人の日本兵に射殺されているのを目にした。あまりの怖さに名護の北東の山中をさまよった。》

 當銘さんの記憶では女性が日本兵に殺害された場所は名護の中心地から東に500メートルほど離れた名護岳の周辺です。

 「日本兵に『何かあったんですか』と聞いたら『アメリカ兵と歩いていたので殺した』というのです。なぜアメリカ兵でなく女性を殺すのか、と恐ろしくなりました」

 日本軍に恐怖を感じた家族はその場を離れ、名護の山中を逃げ続けます。