山中で「子どもの口ふさげ」 本島中部在住の女性〈下〉 山の戦争(36)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の名護市川上の集落

 米軍の進攻から逃れ、両親や姉、弟と共に嘉津宇岳に身を隠していた女性(83)は羽地村(現名護市)川上に向かいます。途中、羽地国民学校(現市立羽地小学校)の前で車に乗った米軍と遭遇します。

 「アメリカ兵が乗った車が私たちの前で止まり、お菓子をくれるんです。父は『食べるな』と言うのですが、アメリカ兵は半分を自分で食べ、残りを私に手渡しました」

 川上に着いたものの、中南部から来た避難民で集落はあふれていました。山の中も避難民や地域の住民が隠れていました。

 「山の中では声を出すなと言われていました。子どもが泣き出すと、大人が『口をふさぎなさい』とるんです」

 戦闘が落ち着くと避難民は集落を離れ、住民が集落に戻ってきます。北部に進攻した米軍は田井等の一帯で収容地区の設置を進めており、川上に米兵が巡回するようになります。家族は米兵を恐れていました。「アメリカ兵が来ると見張り役の私が合図して、軒下に母を逃がしました」

 名護の山を逃げ回った体験から76年が過ぎました。女性は最近、嘉津宇岳から川上へ移動した道をたどったといいます。「私の体験をもっと若い人に伝えたい」と女性は話します。