猫を見て受け身を研究…銅メダル屋比久、父母の教えを磨いた感性


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男子グレコローマン77キロ級3位決定戦 イラン選手を攻める屋比久翔平=幕張メッセ

 「お父さんが行けなかったオリンピックにあんたが行くんだよ」。物心付いた頃から周囲に言われ続けた言葉は、いつしか人生を懸けた目標になった。笑いつつ「洗脳みたいな感じ」とよく口にする屋比久。ひたすらに追い続けた夢の舞台で、表彰台に上がった。

 89年、91年の全日本王者である父・保さん(58)は92年のバルセロナ五輪代表まであと一歩まで迫り、母・直美さん(52)は85年、86年の全国高校総体女子やり投げで連覇したアスリートだった。だが、保さんいわく「翔平は小さい時から負けず嫌いで泣き虫だったけど、身体能力は高くなかった」。自らを世界トップ級の選手へと押し上げたのは、持ち前の鋭い感性と探究心だった。

 既に競技を始めていた小学生の頃には「投げられた時に体をねじるレスリングの動きと似てる」と高所から落ちる野良猫の動きをじっと観察していたという。長じて進んだ日体大大学院では、付きものの減量について「ずっと文献を読んでいた」と研究に没頭した。愚直な性格が、父譲りの「泥臭く前に出るレスリング」を磨く原動力となり、五輪のメダルをつかむまでに強さを増した。

 5日は長男・紫琉君の1歳の誕生日。自身は小学4年から自然とレスリングを始めたが、息子には「球技をやらせたい。僕が得意じゃないから」と笑う。「やりたいことをやればいいんですけど」とも。試合直後、会場のモニターには歓喜する親族の姿が映り、紫琉君は元気に泣いていた。汗だくの顔でくしゃっと笑い、画面越しに手を振った父ちゃんレスラー。「誕生日プレゼントとして掛けてあげたい」。体を張り、最高の贈り物をつかみ取った。
 (長嶺真輝)

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