沖縄の父から便り届く 赤嶺松栄さん 住民の「疎開」(6)<読者と刻む沖縄戦>


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沖縄に残った赤嶺松助さんから松栄さんらきょうだいに届いた手紙

 疎開地の宮崎県高岡町(現宮崎市高岡町)で、赤嶺松栄さん(85)=南風原町=は沖縄に残った父松助さんのことが気になります。1945年の正月、占いで父の様子を尋ねます。

 《年が明けて1月1日、父の安否をコックリさんを呼んで占いをしましたら元気でいるとのことでした。その後、父から12月28日付の手紙が届いたのです。寒風の時節での4人への気配り、家に残っている3人が元気でいること、淋(さび)しい中での生活あれこれが記されていました。》

 松助さんが疎開先の家族に送った手紙が今も赤嶺さんの手元に残っています。戦時色のにじむ文面から次女の弘子さん、三女の清子さん、そして松栄さんの無事を願う父の思いがにじんでいます。

 《弘子、清子、松栄さん、内地では雪を見る程寒いのでありましょうね。よく御身を注意して風邪を引かない様に元気よく運動しなさいよ。

 弘子、清子、松栄さん、淋しい事はありませんか。父さんも時々は君等の生活の事も思う場合がありますよ。

 十二月八日のムーチー又は正月の場合には君等の事を思い出して淋しい事もあります。しかし今日の米英撃滅の事を思い出しますと父さんは何にも淋しい事はありませんから安心してくれよ。其の後は沖縄にも空襲はありませんから心配なく安心してくれよ。》