【宜野湾】沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落事故から13日で17年。同大3年の花崎太陽さん(21)=宜野湾市新城=は市野嵩で生まれ育ち、基地は「当たり前」の風景だった。しかし母校の普天間第二小にヘリの窓が落下し、基地問題を学ぶにつれ、現状に疑問を抱くようになった。多くの人が基地問題に関心を持ってほしいと、花崎さんは願っている。
普天間飛行場やキャンプ瑞慶覧のフェンスが身近にあり、米軍機騒音で学校の授業が中断するのは普通と思っていた。そんな意識を変えたのは、2017年12月、野嵩の緑ヶ丘保育園にヘリ部品が落下し、1週間後に普天間第二小へ窓が落ちたことだった。当時は長崎県の高校に在籍し、事故を知って驚いたという。
地元はおしゃれな洋服店が並び、夕日もきれいで「めっちゃ好き」だ。だが、落下事故で県外の人に心から「地元に来て」と言いづらいと思った。
普天間第二小で、先生が児童に「(1)音聞いて(2)止まって(3)目視(4)怖いと思ったら逃げよう」と呼び掛けていることに異常さも感じた。
大学に進み、基地が造られた歴史や、米軍に日本の法律が適用されない日米地位協定の問題などを学んだ。「(市街地近くに)基地があることは普通ではない。もっと学ばないといけない」と認識した。現在は新型コロナウイルス感染対策で窓を開けることによる騒音被害も懸念している。
会ったことはないが祖父は米国人だ。米国を嫌いにはなれないが、日米地位協定の問題などに触れ「米国に言うべきことを言える日本になってほしい」と求めた。普天間飛行場の名護市辺野古移設は「苦しみを他で味わってほしくない」と反対するが、負担が宜野湾市に残ることに複雑な思いも交差する。
沖国大ヘリ墜落時は4歳で記憶はなく、大学などで学んだ。墜落現場にあるヘリのプロペラで傷ついた壁を見詰め、願った。「同じ事故が起きる可能性もある。多くの人が基地問題を身近に感じてもらえたらいい」 (金良孝矢)
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