「グラウンドの恥はグラウンドで返そう」が合言葉だった。
春の選抜大会で21三振という不名誉な記録を残して帰ってきた首里は、猛練習と沖縄大会での名勝負を手土産に再びグラウンドに戻り、ついに屈辱を晴らした。
1963年8月13日、西宮球場。第45回記念大会のこの年、例年より出場校が多いため、甲子園と西宮の2球場を使った。首里は初戦で日大山形と対戦した。
春の首里とは見違えた。浮足立った様子はまったくなく、守備でリズムをつくる。三回には四球と失策の走者を、捕手伊佐勝男が連続盗塁刺。好リズム。その裏、二塁打の外間覚を3番安里陽宣の右前安打でかえし先制。その後もエース玉那覇隆司がけん制で刺すなど、攻撃的守備が光った。
しかし五回、玉那覇は速球に慣れ始めた日大山形打線につかまり、3本の安打で逆転される。六回表からは又吉民人がマウンドを引き継いだ。
又吉は最初の打者に対し、得意のカーブで簡単に2―0と追い込む。3球目。外すつもりで投げた外角低めへの直球に球審の右手が上がる。「ストラーイク、バッターアウト!」
「あれ? 入ったんだ」。又吉は次も同じ球を同じところへ投げた。
「ストライク!」
沖縄よりもストライクゾーンは広かった。県外との交流が少ない当時、沖縄と県外とでずれていたのだ。気が楽になった又吉は残り2人も三振で打ち取り、駆け足でベンチに戻る。このリズムが六回裏の攻撃に生きた。
前の2打席とも安打と当たっている3番安里からの攻撃。右越えの二塁打で出塁すると4番垣花米和の投ゴロの間に安里は三塁に進み、一死三塁で5番又吉。打てのサインが、有利なカウントになった直後、変わった。
又吉はちらりと見て徳田安太郎監督からのスクイズのサインを確認したが、本当にそうだったか不安になった。もちろんもう一度見るわけにはいかない。「確かにサインが出てたよな。間違いないよな」。何度も自分に言い聞かせた。そして次にきたカーブをうまく一塁側に転がす。スクイズ成功。同点になった。
その直後の守り。無死から四球と安打後、併殺の間に1点を勝ち越されるが、首里ナインは皆、負ける気がしていなかった。
一度、修羅場を乗り越えると自信を得る。沖縄大会準決勝で沖縄水産に追い詰められた経験が首里ナインを強くしていた。
その自信通り、七回裏に外間、安里、垣花の2、3、4番の連続安打で逆転し、そのまま試合を制した。
球場に響く校歌に合わせ、センターポールに高々と揚がった首里の校旗。本塁を前に横一列になった選手たちは皆、感激にむせていた。「校旗を目に焼き付けておかなければ」と言い聞かせるが、涙が次から次へとあふれて見えなかったという。
続く3回戦は選抜の優勝校、この選手権準優勝の下関商(山口)と対戦。0―8で敗れたが、沖縄に初勝利をもたらした首里ナインは文句なくこの夏のヒーローだった。8月21日に帰沖した時には、港で約1500人が笑顔とバンザイで迎えた。「見捨てられたようだった」と感じた選抜の時と比べ、一勝の重みをあらためて実感した。市中をパレードする首里の選手たちの顔は晴れやかだった。
この初勝利は県勢の新たなる勝利へとつながっていった。それを重ねて、強豪と呼ばれるまでになった現在の沖縄高校野球がある。 (敬称略)
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◇第45回全国高校野球選手権大会(1963年8月13日、阪急西宮球場)
▽2回戦
日大山形
000020100|3
00100120×|4
首里
(日)大場勲―渋谷邦弥
(首)玉那覇隆司、又吉民人―伊佐勝男
▽二塁打 渋谷邦弥(日)外間覚、安里陽宣、宮里正忠(以上首)
▽試合時間 2時間8分
▼<白球の軌跡>1986年、興南―沖縄水産(上) 4年連続の決勝、速球派と技巧派対決