南風見でマラリア広がる 本田昭正さん 島の戦争(6)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
由布島の水牛車。復帰後、島は観光地となった=1985年11月

 陸軍中野学校出身の残置諜報員、山下虎雄軍曹に疎開を命じられ、波照間島から西表島東部の由布島に渡ったのは50人程度です。本田昭正さん(86)=浦添市=は両親と姉、妹、叔父の仲本信幸さんら計7人で行動しました。

 「由布島で米作をしていた竹富島の人が造った小屋がありました。仲本さんは波照間から牛を5、6頭連れてきていました。牛の世話が僕の役目でした」

 本田さんは、仲本さんが連れてきた牛を伴って由布島から対岸の西表島に渡り、原野で草を食べさせるのです。一度、怖い思いをしました。「由布島から西表島に渡る時、戦闘機が来ました。慌てて島に戻って、アダンの陰に隠れて縮こまっていました」

 由布島に疎開した住民は、上空から見えないよう林の中に避難小屋を造りました。米軍機は毎日のように襲来しましたが、由布島を攻撃することはありませんでした。本田さんは木の陰から米軍機が石垣島を攻撃する様子を見ていました。恐怖心はありませんでしたが、飛行機の音には敏感になりました。

 疎開から2カ月たった頃、南風見に渡った住民の間でマラリアが広まります。

 《疎開の時期がマラリア蚊の多発する時期と重なり、南風見の疎開地では6月頃からマラリア患者が出始め、集団生活の中で感染者が急増した。7月頃から毎日のように死者が続出した。》