学校で「軍神」教育徹底 根保幸德さん 島の戦争(15)<読者と刻む沖縄戦> 


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
ハギドゥマイ浜近くの海岸。沖に浜比嘉島が浮かぶ

 1943年、ガダルカナル島で亡くなった与那国島出身の兵士、大舛松市さんを「軍神」とたたえ、戦意高揚を図る「大舛大尉顕彰運動」は宮城島でも取り組まれました。根保幸德さん(87)=うるま市=は「軍神大舛の話を学校でよく聞かされました」と語ります。

 学校ではそのほか、広瀬武夫、東郷平八郎、木口小平ら神格化された兵士の名や「爆弾三勇士」のことも学びました。「日本軍にあこがれるよう仕向けられたのです」

 宮城島の南にあるハギドゥマイ浜で出征する兵士を見送っていた根保さんには忘れられない出来事があります。

 《今では笑い話になるが、島の住民を震撼させた出来事は私の脳裏から離れない。

 1945年2月の初め頃、私たち児童生徒は多くの住民と共に出征兵士を見送っての帰り、よく晴れた大空に一筋の白い線が引かれ、その線は次第に太くなっていくのがみんなの目にも映った。

 その先を見ると白く光るものがゆっくり動いている。まぎれもなく米軍機だ。誰言うとなく「アメリカーが毒ガスをまいている。ガスを吸わないように何かで口や鼻をふさげ」ということで、みんなは手拭いや着物の袖を鼻や口に当てて、それぞれの避難壕に一目散に走って行った。

 この白い線が飛行機雲であることを、当時は大人でさえ知らなかった。》