日本兵の隠匿疑われ移動命令 根保幸德さん 島の戦争(20)<読者と刻む沖縄戦>


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米軍の命令で宮城島、伊計島の住民が集められた平安座島

 1945年5月29日の朝、宮城島や伊計島の住民は平安座島や浜比嘉島への移動を突然米軍に命じられます。根保幸德さん(87)=うるま市=の家族も混乱の中、平安座島に向かいます。

 《私たち家族5人は、衣類や食料を持てるだけ担いで、干潮時の桃原の前の海を腰まで潮水に漬かりながら渡り、平安座の集落にたどり着いた。

 平安座では住宅の割り当てはなかったので、祖母の妹の知り合いの家を頼って行った。20坪ほどの家だったが、家主の母娘は私たちを快く受け入れてくれた。》

 「平安座や浜比嘉に移動しなさいという命令が急に米軍から出ました。本当に大騒ぎですよ。畑に行っているおじいさん、おばあさんを呼びに行きました」と根保さんは語ります。

 平安座島への移動で困ったのが家畜のことでした。「各家では正月に食べる豚を飼っていました。牛や馬もいました。これをどうするか。平安座島に連れて行くわけにもいかない」

 移動命令は日本兵捜索のためだったと言われています。

 《鹿児島県与論島辺りから南部へ武器を運んだり、南部から北部や本土へ脱出しようとする日本兵が東海岸沿いに宮城島や伊計島に漂着することがあった。

 伊計島ではそんな日本兵を住民がかくまっているという噂があった。そのことを米軍が察知し、日本兵捜しのため両島の住民を移動させたと言われた。》