砲撃で負傷の母、助けられず 高良初枝さんの体験 母の戦争(4)<読者と刻む沖縄戦>


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 砲弾で破壊された岩石を腹部に受け、大けがをした母マンチさんを救うため、娘の高良初枝さん(92)は懸命に助けを求めます。南部へ逃れる住民と兵士が入り乱れ、周囲は混乱状態に陥っていました。初枝さんの娘、仲村和子さん(72)=与那原町=の手紙はその時の様子を記しています。

 《母親の腹部に巨石が落下し、必死にそれを取り除こうとしても無理でした。近くにいた人々や日本兵に頼み込んでも、誰も助けてはくれなかったそうです。

 2、3日苦しんで、「なあ、わんねぇダメやくとぅ、初(はっ)ちゃんひんぎれー」(もう、私はダメだから。初ちゃん逃げて)。立ち去れなくてたたずんでいた母たちに、その言葉を残して、祖母は42歳の生涯を閉じました。》

 和子さんは「祖母は2、3日は意識があったようです。母は近くにいた兵隊に『助けてください』とお願いしましたが、混乱した状況の中で、だれも助けてくれず、ずっと祖母のそばにいたようです」と話します。

 マンチさんが息を引き取った後、初枝さんはその場で埋葬しました。そして敗戦を迎えます。自分はどこで米軍に捕らわれ、どこの収容地区に送られたか、和子さんに詳しく話すことはありませんでした。

 初枝さんは戦後結婚し、那覇市内で暮らしました。自身の体験を家族に話したり、記録を書き残したりするまでに60年の歳月が流れました。