written by 玉城 江梨子
NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」が10月29日で最終回を迎える。ドラマは宮城県気仙沼市の離島で育った主人公・永浦百音(清原果耶さん)が高校卒業後、宮城県内陸部の登米市の森林組合に就職。気象予報士という職業に出合い、資格を取って上京し、そこで得た知識や技術を生かし、ふるさとに貢献する道を探るというストーリーだ。物語の舞台は東京、気仙沼市、登米市で沖縄は一切出てこない。出演者に沖縄出身者もいないのに、私はこのドラマから沖縄のことを考えずにはいられない。
それは、東日本大震災から10年となる今年5月に始まったこのドラマが、震災後を生きる人々を描いているからだ。登場人物たちの苦しみ、優しさがこれまで取材してきた沖縄戦体験者の言葉や表情と重なるのだ。
■「津波見てないもんね」
主人公・百音は震災の日、高校受験の合格発表で島を離れていたため、島を襲った津波を体験していない。数日後、島に戻って再会した同級生たちの目は輝きを失っていた。人間関係が濃密な島で、みんなが体験した悲惨な出来事を体験していないことが、百音に重くのしかかる。島にいた妹・未知(蒔田彩珠さん)から「お姉ちゃん、津波見てないもんね」と言われるシーンもあり、そこにいた人といなかった人に「溝」があることが描かれる。
体験した者と体験していない者。その場にいた人といなかった人の「溝」。それはこれまで取材した沖縄戦体験者の証言からも感じることがあった。
「戦争体験を聞かせてほしい」とお願いしても断られることはよくある。「思い出したくない」「新聞に出るのは恥ずかしい」などいくつか断りの理由はあるのだが、いつもひっかかったのが、「私は沖縄にいなかったから」「南部で逃げた人の方が大変な思いをしたから」という言葉だった。
地上戦や特に犠牲者が多く出た沖縄本島南部の体験だけが沖縄戦ではないのだが、体験者の中で悲惨さの序列みたいなものがあり、それが人によっては「語りにくさ」につながっているのではないかと感じている。
その序列とは、最も悲惨なのが戦争で亡くなった人、2番目は砲弾が降り注ぐ本島南部の戦場を逃げた人、3番目が本島北部などにいた人。4番目は親と離れ日本本土に疎開した学童疎開。最後が家族単位で日本本土や台湾に疎開した一般疎開となる。3番目までは沖縄にいた人たち、4番目以降は沖縄にいなかった人たちと分けられる。
とりわけ、最後の「一般疎開」については、1944年7月から45年3月末までに7万2千人が疎開したにもかかわらず、まとまった証言がほとんどなかった。今まであまり語られていないことに焦点を当てたいと思い、一時期、一般疎開の体験を集中的に取材していた。そこで言われたのが「私は沖縄にいなかったから」だった。
玉城江梨子(たまき・えりこ) デジタル編集グループ記者。1979年生まれ、宜野湾市出身。沖縄戦、医療的ケア児、子ども、障がいなどが取材テーマ。スーパー、コンビニなど身近な場所から見える経済の話題も好き。チョコミント、パクチー好きの引っ越し魔。
沖縄発・記者コラム 取材で出会った人との忘れられない体験、記事にならなかった出来事、今だから話せる裏話やニュースの深層……。沖縄に生き、沖縄の肉声に迫る記者たちがじっくりと書くコラム。日々のニュースでは伝えきれない「時代の手触り」を発信します。