那覇市久茂地の那覇文化芸術劇場なはーとの開館が目前に迫った20日、同劇場前に久茂地小学校跡地であることを示す記念碑が除幕された。くもじ地域自治会の東恩納寛治(ひがおんなかんじ)会長(72)は少し離れた場所から除幕式を見守り、在りし日の学校を思い出していた。学校統合に反対し「久茂地小学校を存続させる会」の会長も務めた東恩納さん。統合について「致し方ないが、つらかった」と振り返り、なはーとを運営する市に「地域と連携し活性化させてほしい」と期待する。
東恩納さんは2歳から久茂地に住んでいる。自身も子どもたちも久茂地小の卒業生だ。「私が通っていた頃はとても活気のある地域だった。子どもが多かったので、病院通りには今よりたくさんの病院があった」と振り返る。
少子化や中心市街地の人口流出などを受け、市教委は2005年、久茂地小などの小規模校の統廃合を検討する方針を示した。住民は「存続をのぞむ会」を発足させ、10年に「存続させる会」になった。住民は地域の拠点が失われるとして署名活動や国際通りでのパレード、当時の翁長雄志市長らとの対話を重ねた。
だが12年に市議会で学校配置条例の改正案が可決され、統合が正式に決まった。市は13年、久茂地小跡に那覇市民会館の後継施設(なはーと)建設を決定。久茂地小は14年3月に閉校した。
久茂地小と前島小の統合により開校した那覇小も、引き続き自治会と連携している。18年には市が自治会事務所や児童館が入る集会所を整備した。それでも自治会会員が減少するなど、東恩納さんは「地域の結びつきが弱まった」と感じている。「なはーとを活用し『住んで良かった』と誇れる地域にしたい」
久茂地小統合やなはーと建設に向け、市は住民と共に久茂地地域の将来像を描いた「久茂地地区まちづくり計画」を16年に作った。計画実現に向けて市と住民らが話し合う協議会を21年度内に立ち上げたい考えで、なはーとも加わる予定だ。
城間幹子市長は学校統合当時、教育長だった。「私も5年生まで久茂地小に通ったので思いは強かった。地域の方々とひざを突き合わせて話した」と振り返る。「国際通り周辺は今、市民はなかなか通らなくなっているが、劇場ができれば市民も訪れるようになる。中心市街地ににぎわいを生み出したい」と力を込めた。 (伊佐尚記)
◇ ◇
なはーとが31日に開館する。市民が劇場に求めることや課題を探る。