首里城が焼失して2年を迎えた。あの日、県民は燃えながら崩れ落ちる様子に衝撃を受け、沖縄全体に喪失感が漂った。しかし、失われたことで首里城の存在意義を改めて考える機会も生まれた。もっと身近に感じられようにするにはどうしたらいいだろう。もっと魅力を知ってもらえるようにするにはどうすればいいだろう。首里城が復元される「その日」に向け、県民一人一人が「私たちの首里城」を思い描いている。
東京五輪の空手男子形で金メダルを獲得した喜友名諒選手(31)は、首里城のそばにある県立芸術大学で毎日のように稽古していた時期がある。2年前、燃えている様子をテレビで見た時は、目を疑ったという。「これは本当なのか、疑うというか…。燃えているシーンが信じられなかった」と、ぼうぜんとしてテレビを眺めていた。
芸大の稽古場からは首里城が見えていた。ランニングも首里城周辺。大先輩が首里城で稽古していたという話も耳にし「先輩たちはどこで稽古していたのだろうか」と想像していた。「機会があれば自分も首里城で稽古してみたい」と思っていた。
首里城と空手は、どちらも沖縄のシンボル。親しみを感じ、首里城の歴史を調べていた。「空手がまだ『手(てぃー)』と呼ばれていた時代から、首里城とは深い関係があると思う」と語る。
火災から2年がたち、復元に向けたプロジェクトが進行中だ。ふと、近くを通って首里城がないことに寂しさを感じることもあるが、復元への期待も高まっている。「県民だけじゃなくて、日本全国に復興を願っている人がたくさんいる。一日も早い首里城の復興をみんなが期待している」
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