住民動員し伊江島飛行場建設 高山朝光さん 山の戦争(38)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
伊豆味から渡久地に向かう県道84号

 1944年3月、第32軍が創設され、沖縄で戦争準備が本格化します。島々で飛行場建設、陣地構築が進みます。本部半島の人々も伊江島飛行場建設に動員されました。本部町伊豆味で暮らしていた高山朝光さん(86)=那覇市=は、工具を手に港のある渡久地に向かう人々の群れを覚えています。

 「たくさんの人々がつるはしやスコップ、くわ、もっこを持って、伊豆味の前の郡道を渡久地に向かって歩いていました。若い男性は軍隊に取られたので、動員されたのはお年寄りや女性ばかりです。とぼとぼと歩いているという感じでした」

 北部地域の人々は続々と伊江島に動員されました。高山さんの周囲でも祖父と2人のおばが駆り出されました。

 44年10月の10・10空襲は渡久地や伊江島も標的となりました。爆発音が伊豆味まで響いたといいます。

 「米軍の爆撃を伊豆味の高台から見ていました。おばあさんは木の枝をつかんで震えていました。子どもたちがどうなったか心配していたのです」

 幸い祖父と2人のおばは伊江島から無事戻ってきました。渡久地に住んでいた親類家族は家を焼かれ、伊豆味で一緒に暮らすようになりました。

 44年夏以降、日本軍の駐屯が進みます。学校などに部隊が置かれ、民家が兵舎として徴用されます。伊豆味にも「宇土部隊」が配備され、伊豆味国民学校(現伊豆味小中学校)に本部を置きました。