2022年1月に沖縄県内で先行公開される映画「ミラクルシティコザ」(平一紘監督)の魅力に迫る連載の第3回テーマは「衣装」。沖縄のモデル事務所カラーズの代表で本作の衣装を担当したスタイリストのむらたゆみさんと、ヒロイン・マーミーを演じた大城優紀さんをゲストに、映画の舞台となった70年代の衣装について語ってもらった。案内役の平監督も、現場スタッフへの思いや作品へのこだわりを明かし、熱く言葉を交わした。
衣装イメージはどう組み立てる?
平 先日の試写会を見ていかがでしたか。
大城 劇場で自分たち(これまで映像を一緒に作ってきたメンバー)の映画を見るのは初めてだった。ロックが中心で音も迫力もすごいし、率直に言って感動しました。迫力満点でした。ジャンルはコメディだけど、人間ドラマ。
むらた 感動が先に来た。これだけのことができて良かったなと。台本をもらったときは、質問攻めにするくらい、意味が分からなかった。できあがった作品を見たときに「なるほどなぁ、(平監督)すごい頭の中をしているな」と感じた。
平 僕の台本は分かりにくいことで有名で…。そこは要改善かなと思っています。前半のコメディーシーンから、急転直下シリアスな話にも移行する。ずっとシリアスか、ずっとふざけているかのどちらかが、沖縄の映画には多かったり、自分でも作ってきたりしてきたけど、今回はいろいろな時代背景を描く上でそうなった。むらたさんとはテレビドラマとかで一緒にお仕事させてもらったりしていたが、映画監督としては初めてご一緒させてもらいましたね。
むらた 今回、監督と直接最初から最後まで話ができたのが良かった。普段は助監督さんがいて、間に2人くらいスタッフが入っての、衣装部みたいな状況。末端なので。監督に直接イメージを聞いて、言いたいことを言えたので、話が早いし。色のこととか細かいこともLINEで聞けたし、やりやすかった。その分、ずっとミラクルシティコザの衣装のことばっかり考えていた。
平 僕も経歴上は、デパートりうぼうの婦人服飾課にいたが、何年も前の話なんで全然役に立たなくて。映画で衣装部として入られるにあたって、70年代のバンドやヤクザ役、刑事役などさまざま衣装イメージをまとめた資料をむらたさんが持ってきてくれた。いつもこのような作業をされているんですか。
むらた やりますね。パソコンがない時代は雑誌とかを切り抜いてイメージマップを作るんです。それで、「この子の衣装はこういうイメージで」とかやり取りをしていた。今はネットで検索できるから楽になった。イメージマップ作りをした方が自分も頭の中が整理できる。これを作った上で、実際集められる衣装が、どんなものか分かっていた方が話が早い。
ロックにヒッピー 70年代ファッション
平 「仕事は整理・整頓だよ」と制作の方もいっていましたが、まさにそうですね。映画の舞台となった70年代の服装の特徴はなんですか。
むらた 70年代は、ロックテイストの服が海外から入ってきていたというのはもちろん、厚底のロンドンブーツだったり、ベルボトムのパンツだったり。服がジッパーではなくて、ボタンだったりとか、パッチポケットがついていたり。あとはヒッピースタイルがはやっていたので、(70年代のシーンに出てくる)ヘザー役や辺土名役には、フリンジの衣装をカップルで着てもらった。桐谷さんのシャツにあしらわれていた派手な色のプリント柄も時代を象徴するアイテムになっています。
大城 アクセサリーも大きめでした。今じゃあまりないターバンをつけてもいましたね。
平 マーミーの衣装の特徴は。
むらた 太めで、大きめのバックルを使ったベルトかな。
大城 シンプルな衣装だったので、ベルトに時代が出ていたと思った。あの時代のファッションは、今見てもかわいいと思う。髪型もかわいいし。また巡ってくるのかな。
むらた 作品に登場するバンド「IMPACT(インパクト)」のメンバーのステージ衣装はいかにもロックにして、普段着は柄物のTシャツにしてかわいく仕上げた。
平 衣装と美術で時代背景が伝わりやすかったと思う。映画っていろんなスタッフが、自分が持っているプロフェッショナルな技術を用いて作っているんだなと痛感した。それぞれの衣装はどうやって決めていったんですか。
むらた まずは、性格はどんな感じで、どんな育ちをしているのか、趣味は何かなど監督にも確認しながら、役のイメージを作っていった。
平 それでいうと大城さん演じるマーミーは、テーマカラーが水色でしたね。ロケハンしたときに、ハル(※マーミーのパートナー。70年代を桐谷健太、現代を小池美津弘が演じている)の住んでいる家が水色っぽい家で、水色のワーゲンが置かれていた。「これはハルがマーミーが好きな色だったから買ったんだろうな」とストーリーにも関係付けて考えました。
インスタグラムで探した衣装
大城 衣装の色から入る情報って大切だなと思いました。衣装をそろえるのって難しくなかったですか。
むらた もともとこの年代の洋服が好きだったのが良かった。インスタグラムで、古着屋さんをフォローしていたので、「実はこういう映画を撮るので協力してもらませんか」とダイレクトメールしました。メールに「いいですよ」と返してくれた人のところに行きたかったけど、群馬とかいろんなとこにあったので、送ってもらった。あとは、ベルボトムとか、70年代のデッドストックを探すために、初めてネットオークションも使いました。(準備した衣装で)サイズが大きいやつは、全部ほどいて、縫い直すことで、サイズを合わせた。あと、靴ね。
平 映画に登場するバンドの元となった「紫」さんは当時、めちゃめちゃ厚底の、竹馬のようなロンドンブーツを履いていて、絶対あれが必要だった。
むらた ロンドンブーツも岡山とか、複数の店で購入した。でもデッドストックものって、新しいけどで古いので、ちょっと接着が甘くなっていてね。壊れたこともあった。そのときは、ゴリラテープを使い、美術さんに釘を打ってもらい撮影を続けた。バックルも壊れたね。リハやって、ワンカット撮ったときに、平良役の玉代㔟圭司さんが青い顔をして、「終わった」とバックルの割れたベルトを持ってきていた。幸いバックルがあまり映っていなかったので、事なきを得たけども。
平 あとは、血糊のシーンとかスケジュール調整含め、いろいろありましたもんね。
むらた めちゃくちゃ戦いましたもんね。本当は最後に撮ってほしかったけど、それは無理だったので。「血はどれくらい付くの」と聞いたら、監督は「ちょっとしか付かないです。大丈夫ですよ」と言う。でも、どう考えてもそれなりに付きますよね。血糊もサンプルをもらって、とれるか実験したけど、色は薄くなるだけで、とれなかった。白の衣装だとダメだから、柄がうねうねしているような、血が付いても分かりにくい衣装にした。血が付くのも全部、柄の近くにしてもらうとかね。
衣装もポーズ数がたくさんあったから、何百着と用意した。最初に依頼を受けたとき監督は「1人1パターンくらいの一晩の話です」と言っていたので、多くても30着くらいだと思っていたけども。
平 大嘘でしたよね。(笑)
むらた 桐谷さんなんて、13パターンくらいあって。衣装合わせのときは、サイズの違いなどもあるので、各パターン5着は用意する。一人で100着近くあった。撮影が進むにつれて、だんだんと衣装が増えていく。エキストラの衣装も、「何でもいい」って言っていたのに、「このシーンは下着にしたい。シミーズ、シミーズ」とか、急に言ってくるから。
平 当時の売春宿街のシーンでそういうことがありました。事務所の方に「下着になれる方いらっしゃいましたらお願いいたします」と確認をしました。
大城 70年代の下着って自分たちもわからないですよね。
平 「これくらいの広さなら全部入るだろう」と思って8畳一間の衣装部屋を用意したけど、むらたさんに「全然足りない」と言われました。
むらた 出演者のフィッティング(サイズ合わせ)が終わると当初準備した量より減るが、それでもハンガーラックが20台くらい必要。だから、普通はそんなとこに衣装とか置かないんですけど、関係者の共有リビングを囲うようにハンガーラックを置きました。
平 クランクアップしていく順に、衣装が消えていくから、すごく寂しかったです。「今日で現代のおじい、おばあのシーンは終わりか」みたいな。
むらた 最後の衣装は、桐谷さんのものでしたね。ただ、最後のシーンを撮影する際、監督から「最後は顔だけのシーンだから衣装いらない」と言われていたので、当初は撮影現場に持っていってなかった。だけど、現場で「衣装いるってよ」って言われたので、撮影途中にラインプロデューサーが取りに行ってくれました。
桐谷健太さんとの共演プレッシャーは?
平 いま初めて知りました。すみません。そのとき、差し入れのフルーツサンドとか食べていました。ほかにもシャツが破れたり、何回か「終わった」って思うときもありましたね。むらたさんで良かったと思うのが、普通の人だったら「もうダメだ」と思うところを、「大丈夫」と言ってくれるので、現場にいてとても安心させられました。優紀ちゃんは現場にいて、しんどいことなどありましたか。
大城 しんどいと思ったことはなくて、本当に楽しかったです。
平 優紀ちゃんには最初から台本を渡していましたが、稿を重ねる度に役柄も変わっていた。急に踊ることになって、最初はダンス振り付けの西平士朗先生がついていたけど、後半は「もう気持ちで踊ってくれ」という感じ。士朗さんが形となる動きを作ってくれて、それを体に覚え込ませて、「そっから先は桐谷さんとのキャッチボールで決めてくれ」ってなっていた。そのときの撮影現場は、とんでもない緊張感だった。
大城 ダンスとかできないので、稽古に通っていたけど、最終的に「振りなんていいから」と。でも、ありがたいシーンでした。
平 桐谷さんと共演することになってプレッシャーはなかったですか。
大城 プレッシャーはありました。有名な方だし、テレビで見る印象はすてきだけど、実際に会ってみないとどういう方なのか分からないし。コロナの影響で撮影開始が延びるたびに、私の緊張する時間も延びて「早く終わってほしい」と感じた。クランクインまでが長くて、緊張する期間が長かったのが苦しかったかも。でも、桐谷さん自身が、周りとコミュニケーションを取ってくれる方でそれに救われた人もたくさんいると思う。バンドメンバーとか最終的にめちゃめちゃ仲良くなっていた。
平 東京で、むらたさんとやった衣装合わせも面白かったですもんね。
むらた 関西人気質でね。革パンを3枚用意していたけど、全部サイズが合わなくて入らなくてね。
平 ヒザくらいまでしかはけていない状態で、「これ入りません」ってそのまま出てきた。太ってるとかじゃなくて、桐谷さん、めちゃくちゃ体格が良くて。テレビで見るより大きい!と思いました。
むらた サービス精神の塊でしたね。
ロンドンブーツが折れた!
平 むらたさんの中で、撮影現場で印象に残っていることはありますか
むらた やっぱりロンドンブーツが折れたときですよね。みんな足が長く見えるように、(履く人たちの)身長合わせから入ったから、代わりがなく。あとはパンツのシルエットが切れてしまうと、ベルボトムが普通のデニムになってしまうので。
大城 全部現場にいる監督が一番印象に残っていることは何ですか。
平 とある場所で、マーミーと岸本尚泰さん演じるヤクザ、桐谷さん演じるハルが追いかけっこをするシーンがあった。でもロケ予定地が使えず、当日に場所変更をしないといけなくなったときが非常にびびった。だけど、映画の撮影に入っている間は変なテンションなので「大丈夫、なんとかしましょう」と。本当、ベテランがそろっているから何が起きても安心だった。(撮影を)2年も延期していたから、何があっても大丈夫だと。結果、銀天街の一部で撮影して、ストーリーにとてもはまった。助監督の丹野雅仁さんも「セカンドチョイスがいつもベストなんですよ。なるべくして、その場所になる」と言っていたけど、すごくいいものが撮れました。あとは、コロナ禍の撮影だったので、ぴりぴりしていたけど、結果的に感染者が出ないで撮影ができた。ただ緊張感もあったので、現場は楽しくしようという思いは、ずっとありましたね。
キラキラした街コザに鳥肌が立った
大城 復帰前の映像をこんなに演出している作品は他にあまりないと思う。主人公の翔太がタイムスリップしたときの映像に、鳥肌が立った。ゲート通りがきらきらしたネオンになった瞬間にやばいと。ここがこんなだったんだと思って、すごいと感じた。そこにみんな衝撃を受けるんじゃないかなと思う。勉強にもなるなと思うし。
平 再現するに当たって、過去のコザを「完全再現はしないし、できない」と思っていました。「ここは再現しないといけない」というところもある。でも、僕ら30歳前後の若い世代が「こういうコザだったんだろうな」という希望も含めた過去も描いている。いわゆる当時の、1970年のコザの完全再現ではなくて、いろんな資料をもとにみんなに聞いた「理想のあの時代」だったコザを映画の中で描けたらいいなと思っていて。それが今回CGや美術、衣装の力で過去が楽しく映像化できたんじゃないかなと思っています。
大城 ライブもすごかったし、ポールダンスもすごかった。イメージはしていたけど、再現されるとすごいなと。
平 台本に書いたものが、実際(映像に)なっていくのは一番テンションが上がる。だから、台本を書くときと現場が一番好きで、編集が嫌いですね。腰が痛くなるんで。むらたさんはいかがでしたか。
むらた 過去のメンバーが、現代でおじいちゃんになったときの格好良さかな。ちょこちょこ70年代当時の衣装と同じものを現代のシーンでも使っていて、70年代を残しているライブシーンが格好良かった。
大城 確かに、おじいちゃんたち格好良かったな。ファンになりました。現代の平良役のアカバナ―青年会さんは、いつもおちゃらけた役をやっているから、あんなかっこいい役を始めて見た。作品自体がどなたが見ても楽しめるものになっている。コザとかロックとか、復帰とかに興味がない人でも楽しんでもらえるように作っている感がすごくありました。
平 つくるときに、自分だけが面白いのではなく、ちゃんと面白いか。一歩引いてみるというのを大事にしている。ちゃんと人が見ても面白いはずと思わないと自分の中でもGOは出ないけど、そこをやりすぎると自分の展開ではなくなってしまうから、そこのせめぎ合いはいつもしている。本作は初めて、自分が沖縄のバックボーンに向き合って作った作品なので、だからこんなにいろんな人に知ってもらえる(ことになった)のかなと。本当にコザのおかげ。コザが歴史というアイテムというか、いろんな力を与えてくれたから、こういうものが生まれた。次はそれを生かしてオリジナル脚本を書きたいと思っている。そういう意味で今回は成長させてもらいました。