宇土部隊を追い多野岳へ 高山朝光さん 山の戦争(42)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の名護市内原地区

 本部町の八重岳から羽地村(現名護市)多野岳へ撤退する宇土部隊を追って、高山朝光さん(86)=那覇市=の家族らは壕を出ます。高山さんの母と妹、おば家族の7人です。祖父母は伊豆味に残りました。

 「日本兵は『ついてくるな。たたっ切るぞ』と言い、日本刀を抜きました。それでも、しばらくするとついていくんです」

 通りは木が切り倒され、橋が爆破されていました。西へ向かう人、東へ向かう人が右往左往していました。迫ってくる米軍を恐れ、住民は混乱状態に陥っていました。

 高山さんらは伊豆味から名護の呉我山、嵐山を通り、多野岳に向かいました。呉我山付近で米軍のジープと行軍する米兵を目撃しました。

 コカを栽培する薬草園があった現在の名護市内原地区では大勢の民間人や日本兵が米兵に殺されたという話を聞きました。薬草園に早く到着していたら巻き込まれたかもしれません。

 「昼間は山あいに隠れ、夜になって移動しました。米軍が打ち上げる照明弾で昼間のように明るくなりました。1日に1キロしか進めません」

 伊豆味から6日かけて高山さんらは多野岳に到着しましたが、既に宇土部隊はさらに北側の山々に撤退していました。

 その後、宇土部隊の兵士は山中で飢えに苦しみ、食料を巡って住民との摩擦も起きます。スパイの嫌疑をかけられ殺害された住民もいました。