負傷の少年兵が捨てられる 高山朝光さん 山の戦争(43)<読者と刻む沖縄戦>


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多野岳の山頂付近から見る本部半島の山々

 1945年4月、宇土部隊を追って本部町伊豆味から羽地村(現名護市)の多野岳にたどり着いた高山朝光さん(86)=那覇市=は忘れることができない出来事があります。多野岳近くの民家に避難していた時のことです。

 「大雨の日、ある民家の軒下で泊まっていました。そこに負傷した1人の少年兵がいました。艦砲の破片で皮膚をえぐられ、痛さに耐えかねて悲痛なうめき声を上げていました。とても気の毒でした」

 その少年を大人たちがもっこで運び出していきました。

 「少年は『捨てないでくれ、捨てないでくれ』と言っていました。母に聞いたら『少年をかくまっていたら、我々はみんな殺される。それで捨てにいったんだ』と話していました」

 少年兵がその後どうなったか、高山さんは分からないといいます。「崎本部の仲地さんか幸地さんという人だったのではないか。そういう人がいるか、崎本部を訪ねたことがあります」

 多野岳の近くでは悲惨な日本兵の遺体も目撃しました。

 「米兵に見つかって殺された日本軍の斥候だったのか。2人が木を背にして座らされて、顔が陥没するくらい銃弾を撃ち込まれていました。それほど敵が憎いのか。同僚がやられたのか。残忍な行為にショックを覚えました」

 高山さん家族7人は多野岳から伊豆味に戻ります。