興南高で春夏計6度甲子園にチームを導いた比屋根吉信(ひやね・よしのぶ)さんが4日午後8時29分、熊本県荒尾市内の自宅で病気療養中に死去した。70歳。兵庫県出身。葬儀は家族葬で執り行う。喪主は長男・亮太(りょうた)さん。
幼少の頃に兵庫県に移り、報徳学園で内野手、大体大で投手としてプレー。社会人では西濃運輸に所属し、日本選手権にも出場した。監督として興南高で指揮を執り6度の甲子園のほか、1980年の選手権大会では8強入り。教え子は元阪神仲田幸司氏、元横浜デニー友利氏ら。その後は、社会人の阿部企業、有明高、09年秋のリーグ戦終了後から、関西学生野球リーグの京大で監督として指導に当たった。
亮太さんは「生まれた沖縄に恩返ししたいと言っていた」と振り返り、「指導者として尊敬できる父だった。人間教育に重点を置いていたと思う」と語った。
▼<白球の軌跡>比屋根監督の名勝負プレーバック 1986年、興南―沖縄水産
▼オリ宮城大弥、興南で成人式 スーツは「先輩」から新人王祝い