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ナナサンマルバス…今も走る県民の足 左側通行当日「逆走に思えた」<世替わりモノ語り>3


この記事を書いた人 Avatar photo 稲福 政俊
今も現役で運行している東陽バス所有の730バス=南城市佐敷の馬天営業所

復帰から6年後の1978年7月30日、米国式の右側通行だった交通体系が一夜にして日本式の左側通行に変わった。通称「730(ナナサンマル)」に備えるため、県内バス各社は左側に乗降口を備えた右ハンドルの新車を一斉に購入した。「ナナサンマルバス」と呼ばれたバスは、今も残る「歴史の証人」だ。

44年が経過し、残っているナナサンマルバスは沖縄バスと東陽バスに1台ずつの計2台となった。いずれも現役で路線を走る大ベテランだ。行き先を示す方向幕は丸くて小さい。車高は高く、乗り降りは一苦労。最新のバスに性能は劣るが、レトロな見た目がマニアの心をくすぐり、乗客は絶えない。

東洋バス馬天営業所で配車係を務める平良實さん(74)は、ナナサンマルの日を運転手として迎えた一人だ。

「那覇バスターミナルから出発して志喜屋で折り返し、久手堅営業所まで運転した。もう緊張しっぱなし」と、懐かしそうに振り返る。

左側通行に慣れるための訓練は、ナナサンマル直前の7月20~28日に実施された。運転するのは県外から取り寄せた右ハンドルの中古車だった。運動場のような開けた場所をぐるっと一周して、次の運転手に交代。1回わずか10分程度の訓練だった。

レトロな雰囲気の730バス内で思い出を語る東陽バスの平良實さん

迎えた当日。これまで左手にハンドルを握って右手でシフトレバーを操作していたが、右ハンドルはすべて逆だ。左側通行の道路を走るのは初めて。運転席から見える風景は違和感だらけで、逆走しているように思えた。今までと反対側の左側にある停留所にバスを寄せる時は、細心の注意を払った。県外から多くの警察官が訪れ、パトカーが先導していた。

自家用車が今ほど普及していなかった当時、バスはまさに「県民の足」だった。ナナサンマルの日も乗客は満員で、乗れない人は「積み残した」ほど。新車に入ったクーラーも好評を博し、車内は笑顔も見られた。「大変な一日だったけど、お客さんは喜んでくれた」

その後は車社会は進み、一家に1台の時代を経て、今や車は1人1台の時代に。満員だったバスも次第に乗客が減り「空気を乗せて走っている」と“自虐”も出る。経営の苦労は絶えない。

それでも、ナナサンマルバスは走り続けた。現在、任されている路線は日曜と祝日で、調子の悪い時にはお休みすることもある、マイペースな働きぶりだ。走行距離を示すメーターはぐるっと一回転して「0」に戻り、今となっては正確な走行距離は不明。平良さんによると「地球と月を2往復(約150万キロ)以上」の距離だという。

(稲福政俊)