大城森の壕、周辺でも地盤沈下、国の補償は認められず<ふさがれる記憶…壕の保存・活用の課題>8


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かつて大城森の壕の入り口があったとみられるが、ふさがれて分からなくなっている=2月、糸満市大里

 糸満市大里の大城森の壕は第24師団歩兵第32連隊の陣地壕として構築され、多数の負傷兵が収容された。戦後、旧厚生省による遺骨収集が行われたが、収骨できていない。大城森に隣接する社会福祉施設の敷地内では陥没が発生し、施設は壕の影響だとみて早急な対策と被害の補償を訴える。戦後処理がいまだに終わっていないことを浮き彫りにする。

 「とても大きな壕だった。電気もついていたよ」。伊波得全さん(93)=恩納村=は大城森の壕の様子を覚えている。当時16歳で兵役法の対象外だったが、地元の公民館に集められ防衛隊として召集された。根こそぎ動員だった。伊波さんは「一線部隊はみんな撃ち殺す。女も子どももない。日本兵も米兵も同じだ」と繰り返す。

 「県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅰ)―南部編―」や「糸満市史7巻」によると、南部撤退で米軍が迫る中、日本軍は壕を放棄。その際、多くの重傷兵が毒殺や銃殺された。

 1981年の本紙報道によると、壕には約300体の遺骨が残っているとされ、旧厚生省は同年、重機で大規模な遺骨収集を行ったが、収骨できず中断。94年に個人篤志家が試みたが断念し、遺骨収集は止まっている。こうした作業も地盤の緩みに拍車を掛けた。

 大城森に隣接する大里の社会福祉施設「いとまんシャトー」は1997年の開設以来、地盤沈下と擁壁の剝離(はくり)が止まらない。利用者がゲートボールを楽しむ庭は地盤沈下がひどく、利用できなくなった。補修しても悪化し続けており、市に調査と対策を求めてきた。

陥没した敷地内の庭で、元々あった高さを腕で示す「いとまんシャトー」の大城和德事務長。数十センチ陥没している=2021年12月、糸満市大里

 市は国土交通省の補助で本年度に調査を実施し、施設の後背地に第3坑とみられる地下壕(空洞)を確認。調査では、空洞部が地下水で満たされ、地下に浸透していかないため、施設の敷地内で陥没が起きている可能性があるとした。

 市は、国交省の補助で空洞の地下十数メートルに薬剤を注入し固める工事を予定する。しかし、施設には被害への補償や対策への国の補助は認められていない。市は、施設の庭まで壕は延びておらず陥没の原因として特定できないとした上で、「国が個別に補償する事例はほとんどない」と話す。一方、施設側は「納得できない。地下壕の影響は明白だ」と国の救済を訴える。

 大城森に隣接する自動車整備業の事業者も手つかずの状況に懸念を強める。豪雨時には、昨年も土砂崩れがあったという。

 沖縄戦研究者の津多則光さんは一般論として「戦争のために掘った日本軍の陣地壕が、後々周囲に被害を及ぼしているならば、当然国がその加害者であるから国の責任で何らかの補償をするのは当然だ」と指摘する。戦闘を長引かせる南部撤退の末、多くの住民を巻き込んだ沖縄戦から77年。埋もれゆく壕は今も周辺に影を落とす。(中村万里子)