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糸満市伊敷の「轟(とどろき)の壕」は沖縄戦当時、日本兵や住民など千人余りがひしめき合っていた。1945年6月初旬には首里から撤退した県庁職員や島田叡(あきら)県知事らがとどまったことから、「県庁最後の壕」としても知られる。県内の壕の中でも知名度が高く、例年多くの修学旅行生らが平和学習で訪れる。だが関係者によると2016年ごろ、轟の壕は一時閉鎖の危機にあったという。
15年8月に糸満市が設置した市戦争遺構保全・活用整備事業検討委員会(検討委)と同幹事会。市内に240カ所あるガマのうち、7カ所について平和学習・観光の充実を図るためにどのような整備が可能か調査・検討した。
市は調査を基に、轟の壕など3カ所のモデルプランを提示。轟の壕については地権者と調整の上、駐車場から壕入り口までの通路のほか、崩落防止などの整備が必要とした。一方、委員からは入壕に伴う危険性を指摘する声も上がった。
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市が16年3月に策定した「市戦争遺構保全・活用整備事業(基本計画)業務報告書」では「原則として立ち入りを制限し、壕の入口から中を見る等の利用とする」と明記された。壕内の一部に崩落が見られ、安全確保が困難と判断したからだ。
代替策として、轟の壕を含む安全確保が困難な壕については、写真や映像を利用して壕内部の様子を見せることも検討事項に挙げた。
検討委の意見は二分された。入壕に伴う危険性を懸念する声があった一方、危険性を認めつつ、平和学習には入壕が必要だと主張する意見も上がった。計画を知った平和ガイドらも「沖縄戦の実相を知る上でガマに入ることは大事だ」と、立ち入り制限の撤回を求めた。
検討委の委員長を務めた真栄里泰山沖縄大客員教授は「(検討委の設立前から)轟の壕には(平和学習で)人が何度も入っている。その実態を無視したモデルプランになっていた」と指摘する。
16年の基本計画策定後も轟の壕の立ち入り制限は設けられず、平和学習に活用されている。真栄里氏は「『(実施を)検討する』としていたが、市は結論を出し切れなかったのではないか」との見方を示す。
一方、市は「報告書はあくまでも将来、壕周辺を整備する場合にどのような方法があるかを調査したものだ」と説明する。
平和ガイドで、沖縄平和ネットワーク事務局長の北上田源さんは「市の計画は科学的な調査や保存の観点が欠けていた」と指摘する。「沖縄戦の実相を後世に伝えるには、戦跡を保存した上で活用することが欠かせない。戦跡としての価値を調査することや、文化財指定の可能性を検討することが重要だ」と提言した。
(比嘉璃子)