渡嘉敷「集団自決」77年 遺族らが犠牲者へ非戦誓う 


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
孫やひ孫と一緒に白玉之塔の前で手を合わせる遺族ら=28日、渡嘉敷村渡嘉敷

 【渡嘉敷】沖縄戦当時、渡嘉敷村で「集団自決」(強制集団死)が起きてから77年が経過した28日、村渡嘉敷の白玉之塔では村民や遺族ら約40人が訪れ、犠牲者に鎮魂の祈りをささげ、非戦を誓った。新型コロナウイルス感染の影響で、村主催の慰霊祭は3年連続中止となったが、村は焼香台や供物などを設置して、自由追悼とした。

 1945年3月27日、米軍が渡嘉敷島に上陸。住民たちは、日本軍の命令で島の北側にある北山(にしやま)に集められるが、行き場を失い、28日に手りゅう弾などで330人が犠牲になった。

 村阿波連出身の大城静子さん(88)=糸満市=は、祖母や母、きょうだいの名が刻まれた刻銘版を指でなぞり、涙を拭った。大城さんは、家族らと一緒に北山へ向かい、山中で「集団自決」に巻き込まれた。「殺されそうになったので、死体のそばで怖くて死んだまねをしたら生き残った。でも母や妹たちは亡くなった。ここへ来ると、いつもあの時のことを思い出すさ」。毎年3月28日には手を合わせに村を訪れる。今年は孫、ひ孫らと一緒に訪れた。「生きているうちは来ないとね」と目頭を押さえながら白玉之塔を見詰めた。

 村で平和学習の講師をしている新垣光枝さん(73)=村渡嘉敷=は、孫の上地慶さん(9)らと一緒に花を手向けて、目を閉じながら「世界が平和になりますように」と唱えた。「自分たち世代は、幼いころの島の戦争の傷跡が生々しく残っていて、島の先輩たちからもたくさん話を聞いた。二度と悲惨な戦争が起きないように、後世にきちんと伝えていきたい」と前を向いた。(金城実倫)