沖縄からセンバツ初出場、坂元信一さん死去 那覇高で県勢初得点


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坂元 信一さん

 沖縄代表が初出場した1960年の第32回全国高校野球選抜大会で、那覇高校のエースで4番として活躍した坂元信一(さかもと・しんいち)さんが19日午後5時、病気療養中のところ豊見城市内の老人施設で死去した。80歳。奄美生まれで小学校低学年から那覇市安里で育った。自宅は那覇市赤嶺。告別式は21日午後5時から5時半、那覇市松山1の9の1、大典寺で。喪主は妻美代子(みよこ)さん。

 全国選抜大会では1回戦で北海(北海道)と対戦し1―4で敗れたが、県高校野球史に残る春夏の甲子園を通じた初得点は、スリーバントを強攻した坂元さんのバットから生まれた。投手としてはアウトコースへの直球と内角に食い込んでいくシュートが持ち味の本格派だった。

 県予選でも投打で活躍。機動力のあった牧志清順主将と共に那覇高を甲子園へと導いた。

 琉球煙草(那覇)の社会人チームで安仁屋宗八さんらと共にプレーした。1964年には第35回都市対抗野球大会で県勢チーム初出場を果たした。

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