沖縄の長寿三大食は「豚肉、豆腐、昆布」とされる。しかし米統治下の沖縄では、三大食をふまえつつ、米国と日本本土の食文化の影響も受けてきた。豆腐にツナ缶のチャンプルー、独自の進化を遂げたタコライスもあれば、本土資本の大型店舗がもたらした「納豆」「ヨーグルト」などの新食品も復帰後、柔軟に取り入れ定着している。世替わりがもたらした沖縄の食文化を振り返る。
本土復帰以降、県民生活に影響を与えた大型店舗が「ダイナハ」(ダイエー那覇店)だ。今はなきダイエーが沖縄に進出したのは1975年。地上8階建ての建物には生鮮食品から衣料品、電化製品などあらゆるモノが置かれ、県内に点在したスーパーとは品ぞろえから価格、規模と全てが違った。ダイナハを通じて沖縄ではなじみの薄かった本土の食材が食卓にも並ぶようになった。
ダイナハの地元採用1期生として食品関連のマネジャーを務めた狩俣博美さんによると、ダイナハが沖縄に広めた食品として「納豆」「ぶり」「ヨーグルト」などがあるという。狩俣さんは「本土の食品の多くは当初、本土企業からの転勤族が買い求め、そこから徐々に一般県民にも広まった」と振り返る。
ダイナハと同時期に開業したプリマート(現・イオン琉球)創業者・銘苅朝則さんの長男でイオン琉球取締役の尚一郎さんによると、開業当時はヨーグルトを食べたことがない客から「腐っている」との苦情が寄せられたという。
エコノミストの吉崎誠二さんは「今沖縄にあるスーパーの多くは、ダイエーのノウハウを取り入れながら発展した。沖縄は食べ物に限らず外から入ってきた物をうまく取り入れてきた」と指摘した。
(吉田健一)