戦時下の島で生き抜くこと主張 沖縄戦当時、日本軍批判も 久米島・農業会長の吉浜智改氏の日記


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吉浜智改氏の日記(久米島博物館所蔵)

 2021年3月に発刊された「久米島町史 資料編1 久米島の戦争記録史」には、農業会長だった吉浜智改(ちかい)氏の「1945年乙酉年日記 久米島戦争記」が収められている。吉浜氏が当時、戦争で無駄に死ぬことなく、抵抗せず、命を大切にするよう貫き、周囲にも諭していたことが読み取れる。また米軍上陸後、山から下りる住民は殺害すると脅迫した日本海軍通信隊(鹿山隊)を批判。軍国主義が徹底された時代に、軍批判のまなざしは異例だった。

 同日記によると、45年4月5日、訪ねて来た兵曹に対し、「20数名の通信隊が戦闘力もないのに敵の上陸に体当たりし玉砕したからとて それは何の意義もなさないのです むしろあなたがたが討ち死にしたがため島民に危害が多かったということになる ぎゃくです」と戒めた。

 沖縄本島南部で米軍が掃討戦をしていた同6月10日、国会で本土決戦対策を話し合ったとの報を聞き「沖縄民族は既に国会が見捨てたのだ その民族は自身で自存の大計を考えるのだ」と記した。本土から見捨てられたことを知り、生き抜く大切さを強調した。

 久米島に米軍が上陸した同6月26日以降、鹿山隊は、住民が避難している山から下りれば米軍と通じているとして殺害すると脅した。一方で米軍は、山から下りて家に帰らなければ日本軍とみなし、撃ち払うと布告。住民は板挟みの苦しい状況に追い込まれた。同7月9日の日記では、住民は皇軍と敵におびえ、帰る所がなくなっているとし「皇軍は完全に山賊と化し民衆の安住を妨害す」と批判している。

 「久米島町史」には、当時の村長や警防団の日誌などが収録され、戦時の村行政や鹿山隊の横暴・虐殺と、軍に対応する村や警防団の苦悩などが読み取れる。
 (中村万里子)


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