沖縄戦から77年の慰霊の日を迎える。今年は例年と違い、ロシアのウクライナ侵攻があり収束の兆しは見えない。連日の報道に沖縄戦体験者は戦下にある人々と幼い頃の自身を重ね、心を痛めている。戦争が長引くほど民間人の犠牲が増えることを懸念し、話し合いによる戦争の早期終結を願う。
沖縄戦当時8歳の新垣清徳さん(86)=中城村=は爆撃で破壊されたウクライナの街を報道で目にして「21世紀にこんなことが起ころうとは」と胸が痛んだ。家族13人で村内の壕に避難し、死んだ子どもや海岸に漂着した特攻隊の焼け焦げた遺体を見てもかわいそうという感情が湧かなかったという。「戦場にいると人間らしさを失って喜怒哀楽が薄くなる」と戦下の子どもたちに思いを巡らせた。
ウクライナでは、軍事施設や軍が立てこもる拠点が攻撃対象となっている。沖縄戦でも日本軍は沖縄各地に陣地を築き、米軍の攻撃の標的にされた。当時9歳の玉城哲夫さん(86)=南城市=は本島南部で巻き込まれ、弾が飛び交う中を逃げ、住民が米軍に銃殺される光景も目撃した。ウクライナの焼け跡を見ると「戦争を思い出す」と沖縄戦の光景と重ねる。
内間好子さん(92)=久米島町=は戦下にいる人たちに自身の体験を重ね「早く終わらせないとかわいそう」と話す。久米島には戦前、日本海軍通信隊が駐屯。米軍の上陸後、日本軍は米軍と接した住民をスパイとして虐殺した。「基地がある所に戦争が来る。新しい米軍基地を造っているから怖い」と話し、辺野古新基地建設や基地あるがゆえに戦争に巻き込まれることを懸念する。
中村たけさん(93)=久米島町=は米軍が島に上陸後、地元の女性を暴行するため探し回るのを目にし、隠れる日々を送った。ウクライナでもロシア兵らによる性暴力が相次いで報告されている。「戦争は苦しみだけで良いことは一つもない」と憤る。
遠い国の戦争を我が事として捉え、平和への思いをそれぞれ抱き続けている。
(赤嶺玲子、金盛文香、中村万里子)