取材を深める「市町村史」の存在 記録から活用へ<記者が語った沖縄戦取材>


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 6月の慰霊の日に合わせ、琉球新報は沖縄戦体験者の証言をつなぐ連載「あの日生かされて 沖縄戦77年」を計8回にわたって掲載した。連載は、戦場で追い詰められた住民の生死を分けた事柄やその背景、分岐点を探った。6月23日付の特集では、市町村史が各地の戦争体験を記録し継承してきた意義や今後の課題なども紹介した。担当したのは20~30代の記者たち。連載や慰霊の日の取材を通して感じたことを話し合った。

炎天下、平和の礎を訪れた人たち=6月23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 6月23日の慰霊の日の紙面では、住民の戦争体験を採録してきた市町村史について取り上げ、特集も組んだ。

 発案した中村万里子記者は「住民体験を収めた刊行物が全市町村で出そろう節目の年でもあり、編さんに関わる職員らの話を含めて取り上げるいい機会だと思った」と企画の狙いを説明した。

 体験者が減る中、市町村史の記録は取材の土台にもなった。事前に読み込んでおくことで取材での理解も深まった。

 大阪府出身の嶋岡記者は「土地勘がないので、話を聞いても避難の動きや距離が分からないと思い、取材前に読み、当時の地図のコピーも用意して話をうかがった」という。

 地道な聞き取りを続けてきた市町村史の役割の大きさを思う場面が取材を通じてたびたびあった。

 「いま話してくれる体験者は当時子どもだった方々。市町村史には当時の大人の証言も収録されている。体験や視点の違いが分かる。早くから編さんを始めたことで貴重な証言を残すことができている」(稲福政俊記者)

 「体験者は高齢。記憶が曖昧なことや経験を整理して話をすることが難しい状況もある。市町村史がまとめた証言を道筋に話を聞くことができ、助けられた。戦争体験者が少なくなる中、市町村史の仕事に学び、できれば協力しながら今後も沖縄戦を伝えていきたい」(赤嶺記者)

<地元の継承>記録から活用の時代に

県史や市町村史の沖縄戦編や戦争遺跡のガイドブックなど

 特集面では市町村史の編さんに当たってきた職員らの話も掲載した。嘉陽拓也記者は今後の報道にも手応えを感じた紙面だったと言う。「市町村史に特化した特集は本紙ではあまりないこと。沖縄戦に関する報道は、戦後77年経過してもまだまだバリエーションの多さがあることを示したと感じた。編さんの方々の思いや熱意を掲載したことで、それぞれの地元で市町村史にスポットが当たってくれたらいい」

 知念征尚記者は中学生の平和学習の取材を通して地元の戦争を記録していくことの大切さを感じた。「地域の地名が出てくることで、生徒たちがここで戦いがあったと実感できている様子があった。平和教育への活用に可能性がある」と言う。「体験者からの聞き取りは多くの市町村が手掛けたけれど、戦跡については手つかずのところも。基地内の調査をどうするかなど、課題もある」と指摘した。

 中村万里子記者は「国の記録には記されない住民の体験を集めた市町村史の存在は非常に貴重だ」と指摘する。一方で、「過去に発行した刊行物をその市町村の担当者が把握できていないところもあった。自治体内で活用されていないことの表れだと感じた」「記録を基に戦跡の保存活用につなげたり、平和教育に生かしたりしていくなど、記録していく時代から活用していく時代になっているが、自治体内でその認識も深まっていないこともある」と課題を挙げた。


沖縄戦連載・特集を担当した暮らし報道グループの記者

【暮らし統括班】
稲福政俊(39歳、キャップ)
中村万里子(38歳、サブキャップ・編集委員)
嘉陽拓也(39歳、厚生担当)
赤嶺玲子(39歳、フリー担当)
知念征尚(35歳、フリー担当)
中村優希(26歳、フリー担当)
嶋岡すみれ(28歳、生活面担当)
狩俣悠喜(28歳、気象担当)
金盛文香(22歳、福祉担当)

【那覇・南部班】
金城実倫(36歳、南城市、与那原町、渡嘉敷村、座間味村担当)


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