校長は殺され、姉と祖母は事故死 森松長孝さん(7)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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本部町伊豆味にある照屋忠英校長の顕彰碑

 本部町や今帰仁村、今帰仁村に疎開していた伊江村住民が久志村(現名護市)の大浦崎収容地区に移動してきたのは1945年6月のことです。一時は2万人余の住民がいました。この年11月以降、本部、今帰仁の住民は帰郷が許され、集落に戻っていきます。

 本部町の真部山から今帰仁を経て収容地区に運ばれた森松長孝さん(88)=沖縄市=も本部町に戻ります。「しばらく並里にいた後、真部山に行きました」と語ります。

 戦後、満州(中国東北部)に出征した父の長因さんはシベリア抑留を経て沖縄に戻りました。悲しい出来事もありました。2歳上の姉ツルさんと祖母が船の事故で命を落としたのです。

 「祖父の法事で使う材料を買うため瀬底島に渡っていた2人が本部に帰る途中、乗っていた船が米軍の船にぶつけられ沈んでしまいました。私は生きている間、姉の面影を忘れることができません」

 森松さんは帰郷する際、伊豆味にある本部国民学校の照屋忠英校長の顕彰碑を訪ね、手を合わせます。照屋校長はスパイの嫌疑をかけられ日本軍に殺害されました。「先生は平和な時代を見たかったのではないか」と森松さんは語ります。