イモ供出、作業に追われる母 嵩原安正さん(5)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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 嵩原安正さん(87)=那覇市=が小学生で組織する「少年隊」に駆り出されていたころ、母のヨシさんは軍の食料増産に追われていました。

 「畑は兵士の食料作りのため軍が押さえていました。母は軍のための畑仕事をしていました」

 住民は食料不足に苦しんでいました。畑のイモは軍に供出しました。住民は自ら食料を確保しなければなりませんでした。

 「母は軍隊の作業。僕は山に入って、木に巻き付いているカズラを集めました。カズラはおいしいものではありません。調味料もないので、海で潮水をくんで使いました」

 嵩原さんの父、安市さんはパラオ本島(バベルダオブ島)の高射砲部隊に所属していました。日本軍は敗退が続きます。1944年3月、パラオが米軍による空襲に遭います。6月から8月の戦闘で米軍はサイパン島、テニアン島を攻略します。9月から11月にかけて、アンガウル島や安正さんが暮らしていたペリリュー島で激戦となります。

 安正さんは戦争の行く末に疑問を感じていました。「勝つと聞いているのに、どうして敵の飛行機が来るんだろう。島の飛行場から飛び立つ日本軍の飛行機は帰ってこない。やられているんじゃないか」