米奪われ、弟が栄養失調死 嵩原安正さん(6)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 嵩原安正さん(87)=那覇市=のいたパラオ本島(バベルダオブ島)の食糧事情は一層悪化し、一般住民、日本兵は飢えに苦しみました。

 嵩原さん一家は山で取ったカズラのほか、父の安市さんが植えたバナナで空腹を満たしました。「実はまだ青かったのですが、食べなければ死んでしまいます」

 そんな中、嵩原さんは、沖縄出身の軍属から米を分けてもらいました。バナナ一房と交換したのです。軍属は「小さな子に食べさせなさい」と言葉をかけてくれました。ところが日本の憲兵に米を奪われてしまいます。1945年7月頃のことです。

 「お米を入れたビンを持って帰る途中、憲兵に見つかり『どうして米を持っているのか』と問い詰められました。何も言わずにいるとげんこつを食らい、軍属のいる宿舎に案内させられました。軍属は外出していましたが、憲兵はそのまま米を持っていきました」

 飢えは続き、4男で生後5カ月の安佐美(あさみ)さんが栄養失調で命を落とします。敗戦から5日後の8月20日のことでした。

 「あのお米を食べさせてあげれば、弟は生きることができたのではないか。悔しい思いをしました」と嵩原さんは語り、亡き弟を悼みます。