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「私がやらないと」命守る重圧 悩み共有へつながり、家族の会を発足 <手のひらの命・低出生体重児の今>


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現在の石上晴さん(左)と朱美さん(中央)、青さん(提供)

>>690グラムの産声に生命力感じ 「愛せないかも…」産前に抱いた不安吹き飛ぶ から続く

 身長は31センチ。両手に収まるくらいの大きさだった。肺が弱く、2ccのミルクを1時間半かけて少しずつおなかに入れている間もずっと苦しそうな顔をしていた。石上朱美さん(39)=名護市=は、次男の晴(はる)さんが頑張っている姿を見守ろうと、どんな治療でも必ずそばにいた。

 だが、今でも忘れられない出来事がある。晴さんは退院後も、胃に栄養を送る経管栄養が必要だったため、朱美さんは退院が迫ったある日、病院で晴さんの鼻に管を入れる練習をしていた。何度やってもうまく入れられず、試行錯誤していると晴さんの顔が見る見るうちに黒くなり、呼吸が止まりそうになった。すぐにそばにいた看護師が応急措置をして無事だったが「私が晴を殺すところだった」と恐怖で震えと涙が止まらなくなった。

 退院後も命を守る重圧はのしかかった。経管栄養の管は1週間に1回交換が必要で、嫌がる晴さんをバスタオルでぐるぐる巻きにして動けないようにしてから挿入した。「親の私がやらないと、この子を守れない」と、とにかく必死だった。それでも晴さんと過ごせる日々は幸せで、酸素ボンベを抱えながらいろんな場所に遊びに出掛けた。

 一方で、晴さんへのまなざしは夫婦で違いがあった。夫の洋介さん(46)は晴さんが生まれた直後、看護師に祝福の言葉をかけられると「こんなに小さくて何がおめでとうなのか」という感情を抱いた。薬の副作用で顔が腫れ、管がたくさんついた晴さんに愛情を感じつつも「この子は医療的ケアが必要なんだ」と客観的に見ている自分もいたという。

 そうした思いは、晴さんとコミュニケーションが取れるようになっていった1歳ごろまで続いた。

 朱美さんが洋介さんの複雑な心情を知ったのは、何年も後のこと。「母親は医師や看護師と話す機会も多いけど、父親はそうした機会もあまりなく、本音を話しづらかったと思う」と胸の内をおもんぱかる。

 朱美さんは同じような境遇にいる家族同士つながろうと、2016年8月に低出生体重児の親の会「やんばるちびっこの会」を立ち上げた。父親の参加者も少しずつ増えているという。「同じ温度感で悩みや不安を話せる場が欲しかった。参加してくれる人を見て、そうしたつながりはみんな必要だったんだと感じる」とその大切さを実感している。

 現在晴さんは8歳になり、兄の青さん(10)と共に、後遺症もなく元気いっぱいに大きくなっている。「晴を通して、ケアが必要な子や家族が抱える課題に気付いた。今現在も、悩んだり苦しんだりしている人がいると思う。一人で悩まないで済むように、いろんな形で応援していきたい」。朱美さんは穏やかな笑顔で語った。
 (嶋岡すみれ)