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はじまり 村田紳・沖縄明治乳業社長<仕事の余白>


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 連載の機会をいただくにあたり、これまでの歩みを思い返してみると、体験したすべてが感謝であり、私の財産となっている。しかし当然、その渦中にいる時には恨みつらみもあった。

 私が入社したのは1988年、26歳の時である。当時はまだ弊社の勤務体系が整っておらず、営業として何でもやっていた。朝はまず試飲販売用の冷蔵庫を洗い、トラックに積んで店に設置。機材やケース運び、商品陳列までが午前中の仕事で、昼食後はチコパック(小容量飲料)の3個入り袋詰めを夜中まで。将来が見えず辞めてしまおうかと思った。営業に専念できるよう、アルバイトを採用してくれたのは入社2年目だった。

 しかし専念といっても何でもアリで、数ある体験から印象深いものを二つ挙げたい。一つは名護の生パインの販売。たまたま部長の前を通りかかった私が呼び止められ、JAの真空パックのパインを扱うことに。プリマートやリウボウと交渉して商談が成立し、業務完了と思ったら配送もさせられ、ピンホールが空いていると回収、日曜日もなかった。牛乳屋に入社したのに青果担当のようだった。

 二つ目はファミリーパック(飲料の詰め合わせ)である。計画の倍ほど売れて気をよくした私は、仕入れの発注を大幅に増やした。しかし途端に売り上げがガタ落ちし、責任を取らなくてはいけない状況になった。だが当時の営業部長が、一社員がこれだけ奮闘しているのに責任を取らすことはないと言ってくれたのだ。救いの神だった。