約450年にわたって琉球王国の政治、経済、文化の中心地であった首里城は、過去にも失火や戦乱で焼失し、そのたびに再建されてきた。
最初に建てられた詳しい年は明らかになっていないが、1427年に首里城の外苑(がいえん)造成を記念した石碑が建てられていることから、15世紀はじめには築造されたと推定されている。三山を中山の尚巴志が1429年に統一し、首里城を拠点とした琉球王国が成立した。
1453年に王位継承を巡る争いの「志魯・布里の乱」が起こり首里城は炎上した。尚円が新王朝を開き第二尚氏時代に入ると、16世紀には北殿や後の守礼門などが造成された。
1660年、1709年にそれぞれ失火により焼失し、その後再建された。
時代は下り、明治に入ると日本政府は琉球王国を琉球藩とし、さらに廃藩置県によって沖縄県とした。1879年、政府は最後の琉球国王、尚泰に対して廃藩置県を通達、首里城の明け渡しなどを命じ、琉球王国は終焉(しゅうえん)を迎えた。
戦後の1950年に首里城跡に琉球大が開学した。その後、琉球大は西原町に移転し、1992年に首里城正殿などが復元された。2000年には世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして首里城跡が登録された。
2019年10月31日の火災で正殿など7棟が全焼したが、火災直後から再建への機運が高まり、県外、海外からも多くの寄付が寄せられた。今年11月3日に起工式が行われ正殿の復元工事が本格的に始まる。
(沖田有吾)
首里城火災から31日で3年が経過した。11月3日には起工式が行われ、正殿復元工事が本格的に始まる。正殿は沖縄最大の伝統的木造建築で、今回の「令和の復元」でも伝統的工法が用いられる。さらに平成の復元後の新たな知見も加わり、王朝時代の姿に迫る。正殿は2026年秋に完成する予定だ。
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